神様の中に入れば、神様の力が無限に現れてきますよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 我(われ)を極める 」
   74ページ2行目から81ページ2行目まで >



『 神様から与えられている力をフルに働かせ得る、
そういう道に人々を導き入れるのが
ほんとうの宗教なのです。

そこで私どもの宗教というのは、

守護霊、守護神の加護と結びつけて、

自分の中にある生命の力を充分にふるいおこし、

自分に与えられた力を万全に発揮しよう、
発揮させようという宗教なのです。

それが
〝世界人類が平和でありますように〟
という祈り言になるのです。

≪ 中略 ≫

神様は自分のなかにある。

自分の中にある生命力が神様なのだし、
それを全部出したものを仏様というのです。

ですから神様になるのも仏様になるのも、
すべて自分の生き方によるのです。

祠や神社に神様がいるわけではないし、

お寺に仏様がいるわけでもありません。

自分の中にある神様、仏様が、

信仰が強く深くなると、
その神社、仏閣に現われてくるだけであって、

神社、仏閣に行かなければ、
自分の中の神様が出ないわけではありません。

どこにいたって、
寝ていたって、
起きていたって、
神詣りしなくたって、
自分の中に神様、仏様があるのだから、

その内なる神、仏を引き出してくれる、
そういう方向に導いてくれる、
というのがほんとうの宗教家なのです。

我々の宗教というのは、
私がまず体験してよくわかった、
そうした点から出発しているわけです。

わかったというのはどういうことかというと、
自分と神様とが一つだった、
ということなのです。

神様と一つになると、
無限の力が現われてくるのです。

人間は本来、
量り知れない無限の力、
無限の智慧、
無限の愛を持っているのです。

誰でも持っているのです。

それが肉体に限定され、
肉体人間になると、

十とか百とか千とか、
僅かの力しか出せないわけです。

どうしてかというと、
自分で
「 私はこういうものなんだ 」、
「 自分はこれだけの能力しかないんだ 」、
「 自分はこういう性質なんだ 」
と自分で決めてしまうと、

自分の力がそれで決まってしまうわけです。

私もはじめそうでした。

ところが気が付いて、

「 ああ自分で決めてしまうからいけないんだナ。
  自分というものを
  すべて自分の本心、
  神様のなかに入れきってしまえばいいんだ。
  神様どうぞ私の生命をお使いください。
  どうか人類のために働かしてください 」
って投げ出した。

全部心の底から投げ出したのです。

それからいろいろな修行があったけれど、

本質のいわゆる五井先生という
直霊の力がサーッと入って来て、

いろいろなことがわかるし、
力がついて来た。

力というのは光です。

みなさんが自己限定して、
肉体を人間だと思っている。

そういう人が、
たとえば十の力しかないとしても、

私のように自己限定したものを全部投げ出して、
神様のなかに入ってゆくと、

神様の力が無限に出てくる。

千でも万でも億でも、
必要に応じて、
どれだけの光でも出てくる。

そういう体になるのです。

だから、
自我をなくして、
というとむずかしいけれど、

自我というものを
世界平和の祈りの中に入れてしまうと、

自分で自分を限定していた想いがなくなるから、
本体の力がそのまま出てくるわけです。

そういう人がたくさん出てくれば、
世界はそれだけ大きなプラスになるのです。

そういう人間をつくろうと思って、
一生懸命やっているわけです。

≪ 中略 ≫

神様というのは大生命、
生命の親です。

自分のなかで
いつも生命の親様がつながっているのです。

みんな大生命のお子様方なのです。

親様に感謝すればいいのだから、

親様、有難うございます、
本心さん有難うございます、
といってもいいし、

私のなかの神様有難うございます、
私のなかの仏様有難うございます、
といってもいいのです。

けれど
それではなんだかピンと来ないでしょう。

大神様から分かれてきている守護神があるし、

守護神によって助けられ、
浄化された守護霊があります。
祖先の悟った霊ですね。

≪ 中略 ≫

そこで守護霊さん有難うございます、
守護神さん有難うございます。

自分の祖先の悟った人に
まずお礼をいってつながり、

それから守護神さんにつながり、

大神様につながって行くわけです。

≪ 中略 ≫

守護霊さん守護神さん有難うございます、
大神様有難うございます、
というように
つねに感謝の想いを捧げていると、

天と地がつながって、

もとの大生命と小生命がつながって、

つねに新陳代謝して、

いつもいつも
光が交流しているというかたちになるわけです。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回のお話の中にもあるように、五井先生は、
「 人間は本来、無限の力を持っているのですから、
  自己限定してはいけませんよ 」
という意味のことを、よくおっしゃいます。
他の講話集の中で、このようなお話もなさっています。

「 オレの性分(しょうぶん)だ!ってのがよくあります。
  気の弱いのは私の性分です、短気は私の性分ですという。
  性分でもなんでもない、業(ごう)です 」
                          ( 「 みんな救われている 」 94ページより )

「 例えば、自分は短気だと思いこんでいる人がある。
  おしゃべりの人は自分はおしゃべりだと思いこんでいる。(中略)
  勝手に、みんな自分で決めちゃっているんです。
  決めてはいけません。それは業(ごう)なんです。
  ですからみんな消えてゆく姿なのです 」
                              ( 「 永遠のいのち 」 182ページより )  

「 いいほうに変わってくる。
  そのためにやっぱり祈らなければだめです。
  自分でこれがいいと思ってはだめだし、
  あるいは自分でだめだと思いこんでもいけません。
  〝自分はこうなんだ〟と決めてはいけません。
  こうなんだ、という人間などありゃしない。
  どれだけ偉くなるかわからないのです 」
                              ( 「 永遠のいのち 」 184ページより )

〝こうなんだ〟という人間などありゃしない、
どれだけ偉くなるかわからないのです〟
とおっしゃっていますが、
我々人間は、誰もが、まちがいなく〝神の子〟だからですね。
神様から離れた想い、業が消えて、本心が開いてくれば、
神様の力(光)が無限に現れ出てくる、ということですね。

業を消し、本心を開いて下さるのは、守護霊守護神様ですから、
私は一にも、二にも、三にも、
守護霊守護神様に感謝することを心掛けております。

〝消えてゆく姿で世界平和の祈り〟
〝守護霊守護神への感謝行〟という、
最高にありがたい、五井先生の教えを行じるようになってから、
自分が変わってきたことは、はっきりと自覚できます。

「 守護霊様守護神様ありがとうございます、
  これからまた、どのように変わってゆくのでしょう? 」
と、守護霊守護神様の中に入りながら、自分を眺めています。

皆様も、どのようにすばらしい自分が現れ出てくるのか、
本当に楽しみですね。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和
 

神様の中へ、どこまでも深く入ってゆきましょう

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 自分も光る 人類も光る 」 >
      92ページ10行目から98ページ3行目まで


『 祈りの中、
神様の中に入って、
そして生活してゆく。

それを毎日毎日やっていますと、

知らないうちに神様のみ心が、
自分の中からそのまま現われてくる。

そうすると、
パンと一言いったことが、
向こうのためになったり、

何気なくお金をやったら、
その人がとても困っているところだったり、

そういうようなやり方が出来るのです。

なぜかというと、
神様が知っているからです。

大神様と言わなくても、
守護霊守護神さんは
お互いが知り合っているのです。

一年中、顔を合わせているのです。

≪ 中略 ≫

世界平和の祈りの中に、
神様の中に想いを入れると、

もう守護霊同士が話し合ってる。

守護神同士が話し合っている。

一つになっているということです。

世界平和の祈りの中に入ると、

そこがいっぺんに
パーッと広がるところであって、

みんなが通じ合うのです。

本望が通じ合う所なのです。

だから世界平和の祈りの中に、
全部が入っていれば、

一日一日が充実した生活になるのです。

寝たっきりの人もあるでしょう。

寝ていることは一つもムダじゃない。

寝ながら世界平和の祈りを
一生懸命やっていれば、

その人のいのちは
世界平和の祈りの中に生きているのです。

それで守護霊同士がみんな働いている。

無限に働いている。

寝ながらでも働ける方法なんて
ほかにありません。

それは世界平和の祈りです。

世界平和の祈りだけは、
寝ながらだって、
なんだって効くのです。

今までの祈りというのは、

神社にいって柏手を打たなければダメ、

神棚に手を合わせなければ祈りにならない、

という不自由極まりない祈りだったのです。

神様は宇宙を動いているのです。

生き生きと動いているのですよ。

それが何か固まったような気がするのね。

そこで私は救世の大光明というのです。

光という言葉を使っているのです。

何々の神というと
固まっているような気がするでしょう。

何々仏というと
何か固まっている気がする。

救世の大光明というと、
サァーッとひろがっている気がする。

だから私は何々の神様ということを、
いっぺんも言わないでしょう。

私のうしろには何々の神様がいる、
と言わないでしょう。

救世の大光明が働いているという。

神様には名前がたくさんあるのだから、

たとえば天照大神というような形で現われる神様。

日本では天照大神だけど、
英国ではなんて言うのだろう。

中国でなんて言うのでしょう。

アラビアでは、
インドではなんて言うのでしょう。

みんな違うでしょう名前が。

だから名前をつけてしまうと、
固定してしまって、
不自由です。

「 うちは先祖代々阿弥陀さまです 」、
「 うちは先祖代々大日如来 」、
「 うちは天照大神 」、
「 うちはキリスト 」
ということになるでしょう。

同じものなのに
同じもののような感じがしないのですね。

そこで私は救世の大光明という。

大光明ならどこだって同じだものね。

英語で訳せばいいし、
中国語で訳せばいい。

皆同じこと。

そういう立場で
私は働いているのです。

そこで救世の大光明というのは、
私の場合、
なんで働いているかというと、

世界平和の祈りとして働いている。

宇宙に世界平和の祈りが
鳴り響いているのです。

それは神様のみ心です。

神様は世界人類を
平和にしたくてしょうがないのだし、

それが神様の役目なのだし、
理念だし、
み心なのです。

だからそれに合わせるような
生活をすればいい。

世界平和が実現するための
生活をすればいいわけですよ。

≪ 中略 ≫

この世界というのは、
終始一貫、
自分の権利なんて行使できません。

自分の権利が行使できるのは何か、
と言ったら祈りだけです。

神様の中に入るということは、
自由なんです。

神様の中に入って、
神様のみ心を自分のものにすることは、
自由なのです。

どんなに好きな人がいたって、
あそこに行きたいと思ったって、
あの人を嫁にもらいたい、
と思ったって、

向こうで違う人を好きだったら、
これはしようがないです。

あの会社に勤めたいと思ったって、
向こうで雇わなければしょうがないでしょう。

ところが神様だけは、

「 神様、私はあなたが好きですよ 」と言ったら、
「 ハイよ 」と言うのです。

神様はどんな人でも、
鼻が曲った人でも、
口が曲った人でも、

「 あなたが好きです 」と言ったら、
いつでも、「 アイよ 」と言うのですよ。

「 さあいらっしゃい 」
と抱きかかえてくれるのは神様です。

だから淋しい時、
悲しい時、

何でも神様!
と言って入っちゃえばいい。

ところが神様だけでは
何だかわからない。

そこで世界平和の祈りの中に入ってゆくわけです。

神様!
と自分が助けてもらいたい、
とすがったことが、

実は助けてもらうと同時に、
人のためにもなる働きになってくるのです。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回の講話集のお話の、
「 神様だけは〝 神様、私はあなたが好きですよ 〟と言ったら
 〝 ハイよ 〟と言うのです。
  神様はどんな人でも、鼻が曲った人でも、口が曲った人でも
 〝 あなたが好きです 〟と言ったら、いつでも
 〝 アイよ 〟と言うのですよ。
 〝 さあいらっしゃい 〟と抱きかかえてくれるのは神様です 」

という所が、私はとても好きで、くり返し読みました。
五井先生は、「 神様、といってもあまりピンとこないから、
  自分に一番近い、守護霊守護神を呼びなさい 」
というお話もよくなさっていますので、
「 神様 」の所を、「 守護霊様守護神様 」あるいは「 守護霊様 」
というふうに置き換えて読んで下さってもよいと思います。
私はいつも、心の中で大きな声を出して、
「 守護霊様! 」、「 守護霊様守護神様! 」と呼んでいるのですが、
肉眼では見えなくても、五井先生のお話のように、
「 さあいらっしゃい 」と、やさしくあたたかく、
無限の愛の光で抱きかかえて下さっているように感じます。

五井先生は、
「 自分の権利が行使できるのは何か、と言ったら祈りだけです。
  神様の中に入るということは自由なんです。神様の中に入って
  神様のみ心を自分のものにすることは、自由なのです 」
とおっしゃっていますが、本当にその通りで、
改めて、この祈りのありがたさを感じました。
世界平和の祈りは、無限に大きく、広く、そして自由です。
手水で身を浄め、かしこまって……というのではなく、
どこでどのように祈ろうと、祈れば必ず効かれるお祈りです。
また、守護霊守護神を朝から晩まで呼び続けることも自由です。
呼べば呼ぶほど、守護霊守護神様はお喜びになって、
業を浄め魂を立派にして下さり、神の子の姿を現して下さいます。

守護霊守護神様の中へ、救世の大光明の中へ、
どれだけ深く入ってゆこうと自由です。
光(神)は無限ですから、どこまでも奥深くへ入ってゆけます。
私達は、神様の中へ、光の中へ、無限に深く入ってゆくことが、
いくらでもできるのです。
皆様!これほど楽しみなことってないですね!

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように


             世界平和

祈れば必ず大光明に包まれます、想いを持ったままでも

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 高級霊(ハイスピリット)は上機嫌(じょうきげん) 」
   128ページ5行目から129ページ11行目まで >


『 皆さんは世界平和の祈りをひたむきにやることです。

ねてもさめても称名念仏すべきものなり、というように、
世界人類が平和でありますように、

日本が先になったって、
世界があとになったってどうでもかまいません。

世界人類が平和でありますように、だけでもいいです。

なんでもいいから、
そのような想いをいつでもしていることです。

自分の子供がいい成績になりますように、と思うなら、
その想いを抱いたままで、
世界人類の平和を祈ればいい。

自分の病気が治りたいと思うなら、
治りたいという想いを持ったままでいい、
世界人類の平和を祈ればいい。

あなた方がちっぽくさい自分とみるとするならば、
見えることそのことが消えてゆく姿なのです。

自分の心が悪く見えるならば、
悪く見えるそれが消えてゆく姿なのです。

本来の自分というものは、
神様の中にいるのです。

≪ 中略 ≫

業想念をつけたままでもいいです。

自分の心が浄まってから、
自分の心に不安がなくなってから、
自分がもっと偉くなってから
世界平和の祈りをしましょう、
なんていうのはとんでもない間違いですよ。

そんな想いではいつまでたってもよくならない。

自分の想いが迷いに満ちたままでいい。

否定の心のままでいい。

病気の想いのままでいいから、
そのままで〝世界人類の平和〟を祈るのですよ。

これが私の教えている一番の根本なんですよ。 』


< 五井昌久著 「 高級霊(ハイスピリット)は上機嫌(じょうきげん) 」
   72ページ10行目から75ページまで >


『 祈っている時必ず光に包まれている 

  世界平和祈る忽ち祈(の)り人の姿光につつまれてあり
という私の歌があるんですが、

それはどんなに悪いことを想っていても、

自分がどんな業想念につつまれていても、

あのヤロウいやな奴だ、
アイツは死んじまえばいい、
と思っていてもですよ、

世界人類が平和でありますように……といったらば、
自分は光につつまれているのか、
とこういう質問がありました。

どんなに悪い想いが片方で出て来ても、

世界人類が……という想いがあれば、
それは光につつまれているのです。

光につつまれているけれども、

自分の中の光と
守護霊守護神の外の光と
救世の大光明と、
ぴたっと一つにならないと安心しないのです。

やっぱり揺れているような気がするのです。

ところが世界平和の祈りをやっていると、

中のものが世界平和の祈りをやるんだから、

外の救世の大光明と
内なる光と合体してゆくわけ。

合体してゆく内に
だんだん光がひろがってゆくでしょ。

そうすると
中にある業想念が
だんだん減っていっちゃうのですよ。

そうするとなんか安心立命したね、
心から、ああ私は救われているんだなあ、
ということが、

貧乏なら貧乏なりに、

病気なら病気の中で、

ああ私は救われているんだなあ、
私は神の子なんだな、
ということがはっきりわかってくるのです。

だからやらなければダメです。

どんな悩みの中にあっても、
どんないやな想いの中にあっても、
貧乏の中にあっても、
病気の中にあっても

世界平和の祈りをしていれば、

その人の周囲は
ズーと光につつまれているのです。

これは間違いもないことですよ。

だから安心して
世界平和の祈りをやればいいのです。

自分の幸も人類の平和も一つの祈り言で

世界人類が平和でありますように……とやるのだもの、
こんな大きい人類愛の想いはないでしょ。

世界人類が平和でありますように、
私の家業が繁昌しますように、
一体どっちが大きいでしょ?

世界人類が平和でありますように、
私がよくなりますように、
どちらが大きいでしょう?

世界平和の方が大きいでしょう。

≪ 中略 ≫

世界人類の平和というものは、
個人の平和なのですね。

個人が平和にならなければ
世界は平和にならないし、

世界人類が平和にならなければ、
個人が本当に平和になることはないのですよね。

そこで〝世界人類が平和でありますように〟という時には、
自分の平和もそこに入っているわけです。

だから世界人類が平和でありますように、
だけでよいのだけれども、

それじゃね、小さい方の自分が気が済まない。

家のことも願わなければつまらない、と思う心があるから。

そこで
〝日本が平和でありますように、
  私共の天命が完うされますように〟
と私はくっつけている。

それで守護霊さん守護神さん有難うございますって、
それじゃなんか物足りない。

南無妙法蓮華経をつけた方がよい、
それじゃつけなさい。

南無阿弥陀仏をつけてもよい。

ナムカラタンノトラヤーヤーでも、
なんでもつけなさいというの。

世界平和の祈りをしたら、
あとなんでもつけたらいい。

安来節でもなんでもつけたらいいと思うのですよ (笑)

なんでも好きにつけたらいい。

実際は同じことだから。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

世界平和の祈りに働いておられる救世の神々様は、
世界中の、どのような人も一人残らず、全員救い取ろうと、
「 どんな業想念を持っていても、そのままでよいから、
 〝世界人類が平和でありますように〟とお祈りするのですよ、
  そうすれば、私達救世の大光明は、
  あなたの業想念も地球の業想念も、同時に浄めてあげますよ 」
と言って下さっています。

私は、世界平和の祈りを始めたばかりの頃、
〝こんな簡単な祈り言で地球が浄まるなんて、ホントかなあ?
たとえ悪い想いが出ている時でも、祈れば必ず、
救世の大光明が輝き渡るなんて、ホントかなあ?〟
と、半信半疑で首をかしげていました。
しかし、〝ホントかなあ?〟というその想いも、
救世の大光明によって次第に浄められていったのでしょう、
いつのまにか、百パーセント大確信できるようになりました。

〝 世界人類が平和でありますように― 〟
「 守護霊様守護神様、今、想像もできないような、
  もの凄い救世の大光明が輝き渡っているのですね。
  ここを通して、地球界がどんどん浄まっていっているのですね。
  守護霊様守護神様、お祈りさせて下さってありがとうございます 」
と言いながら、守護霊守護神様の中でお祈りできることが、
もう、嬉しくて楽しくて仕方ありません。

〝 世界平和祈るは神のみ心のひびきにあれば祈るたのしさ 〟
という、五井先生のお歌の通りです。

五井先生のご著書の中に、このような文章がありました。
「 世界人類が平和でありますように、と祈った人の体は、
  もう祈り以前のその人の体ではなくなって、
  救世の大光明につながった、光明の伝導体となっているのです。
  その人が自分で意識しようとしまいとそうなっているのです 」
                   ( 「 神は沈黙していない 」 117ページより )

「 〝世界人類が平和でありますように、
   日本が平和でありますように 〟
   という時にはそのまま菩薩であり、天使なんです。
   皆さんはそういう方々なのです。
   だから、いつもいつも心の中で平和の祈りを続けていて下さい。
   そうすると、神界にある姿がこの世に映ってくるんです 」
                   ( 「 天の心かく在り 」 136ページより )

今日、初めて世界平和の祈りをお知りになった方も、
早速今、どうぞお祈りなさってみて下さい。
救世の神々様は、
「 また地球界に菩薩が一人増えたぞ―! 」
と、大そうお喜びになり、きっと想像もできないような、
もの凄い大光明で包んで下さっていますよ。仮に、
〝こんな簡単な祈り言で地球が浄まるなんてホントかなあ?〟
と、首をかしげていらっしゃっても……、ですよ。(笑)

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうか、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

世界平和の祈りは、どの宗教のかたもお祈りできますよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 霊性の開発 」
   172ページ4行目から16行目まで >


『 己が幸願う想ひも朝夕の世界平和の祈(の)り言(ごと)の中
の歌のように、

自分の全生活を
世界平和の祈り言の中に入れてしまい、

そこから神はからいによる生活に
おのずと光明化してゆく方法こそ、

誰しもが肯定しうる祈りの方法だと思うのです。

そしてそこから生れでる安心感こそ、
真実の安心立命の心の状態であることは、

私たちの同志の多くが体験していることであるのです。

まず自分の心から
不安の想い、
不幸の想い、
恨み妬みの想い等々の
業想念を消し去ることが、

世界人類を平和にする第一のことなのですが、

世界平和の祈りをしていれば、

自分と人類とのつながりが、
おのずからはっきりわかってくる、と同時に

知らぬ間に
光明波動を宇宙にひろげていることになるのです。

試みに〝世界人類が平和でありますように〟
の祈り言をつづけてごらんなさい。

いつの間にか心に光明が灯り、
安心立命の心境が開けてくるのです。

これは幼い児でも老婆でも
体験していることなのであります。

もう現代は宗教理論の時代でもなく、
難解な経文の時代でもありません。

誰れにでも容易に理解でき、

多くの人がなんでもなく
実行できる宗教の道でなければなりません。 』


< 五井昌久著 「 霊性の開発 」
   174ページから176ページまで >

『 まず宗教が世界平和を願う大眼目に一つになろう

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように

こうした三つの言葉を並べてみて、

この言葉を口ずさんでみて、

なんらかの疑義や不審がでるでしょうか、

難解な言葉があるでしょうか。

むずかしい文字も、
難解な意味もありません。

ただ文字がそのまま、
その言葉の意味を
読む人の心にきざみこんでくれます。

口ずさめば
その意味がそのまま
幼い子供の心にもしみこんできます。

ですから、幼児から老婆に至るまで、
世界平和の祈りを喜んでするのであります。

浄土門の人は、
世界平和の祈りの後で
南無阿弥陀仏と唱えればよいでしょう。

日蓮宗の人は
その後で
南無妙法蓮華経と唱えればよいでしょう。

キリスト教の人は、
世界平和の祈りにあわせて
主の祈りをすればよいでしょう。

この世界平和の祈りは、
いかなる宗教宗派とも
一つになり得る要素をもっているのです。

≪ 中略 ≫

今こそ、宗教が
各宗派という相対的な考えを捨て去って、

一つの目的、

つまり地上に神仏のみ心を顕現するために、

心を一つにしなければならない時代に
なってきています。

そして、どの宗派の考えも、

地上天国を考え、
世界人類の平和を願っていることには
間違いないのですが、

お互いが自分が一歩下がって、
相手と融合しようという気持を
もつことができずにいるのです。

それは各首脳部の
面子(メンツ)の問題もありましょうが、

実は、心を一つにして、
お互いの摩擦なしに祈れるような
祈り文句がないからなのです。

光の大進軍の先駆者  

今は大事な大事な時なのです。

自分の面子(メンツ)だの
教団の地位など考えているのは、
実に愚かなことであります。

人類の業想念は

今や表面に浮びだして、
地球の表面を蔽いつくしているのです。

その業想念波動を消滅しつくす方法は、
ただ一つしかありません。

それは人類の想いを、
守護の神霊のみ心と
一つにすることだけなのです。

人類の想いが
守護の神霊のみ心と一つになれば、

この地球界を蔽っている業想念はたちまち消滅して、
光明世界が現われてくるのであります。

その先駆は
まず宗教者がやらなければいけません。

各宗派の教義の違いなど、
今の時代には
枝葉末節的なつまらないことです。

どうでもよいことです。

≪ 中略  ≫

世界平和の祈りこそ、

自己の安心立命の道であると同時に、

世界人類を神の光明と一つにつなぐ
偉大なる祈りの方法なのであります。

どうぞ、その事実をよくつきとめられるために、

皆さんも世界平和一念の日常生活をお送り下さい。 』


< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

世の中には数えきれないほど多くの宗教宗派がありますが、
五井先生はこのようなお話をされています。

「 私の宗教は、どのような系列に入るかといいますと、
  神道的でもあり、仏教的でもあり、
  また、キリスト教的でもあり、道教的でもある、という、
  何経的にも片寄らない、万経融合的とでもいう
  宗教の道なのであります。この世的な言葉でいうと、
  世界平和を唯一の目的としている、という宗教なのです。
  世界平和というものを唯一の目的としながら、
  個人の本心の開発も出来、日常生活も平安になってくる、
  という教えを説き実行している宗教なのです。 」
               ( 「 神は沈黙していない 」40ページより )

又、〝ある人が五井先生の教えを知り今迄になく感動したのだが、
ある宗教を熱心に信仰してきたので、罪悪感を感じて悩んでいる〟
という問に対して、このように答えていらっしゃいます。

「 私の説いている宗教というのは、改宗ではなく、
  各人が、今日までたどってきた宗教の道をそのまま
  真実の神仏への道として、容易に誤たず歩み得るように
  教え導くものなのです 」  ( 「 続宗教問答 」213ページより )

「 世界平和の祈りは、あらゆる神々、あらゆる聖者が総協力して
  働いておられる、救世の大光明につながる祈りなのですから、
  世界平和の祈りをするところには、
  各教祖たちも必ずきておられるのですから、
  世界平和の祈りによって、各教祖の教えが、
  はっきりと生かされるわけなのです。 」
               ( 「 続宗教問答 」214、215ページより )

例えば、キリスト教を深く信仰していらっしゃる方が、
日常生活の中で五井先生の教えを行じていかれれば、
イエス様の、み心み光が、より強く感じられるのだと思います。

世界中の宗教宗派が一つになったらすばらしいな、と思いますが、
そのためには、自分自身がいつも守護の神霊に感謝し、
守護の神霊と一体になって祈り続けることが大事ですね。

世界中で様々な争いが起きています。
宗教の対立が絡み合っている争いもあるようです。
私は、昨年1月11日のブログに載せさせて頂いた、五井先生の
「 本心 」という詩を思い出すようにしているのですが、それでも、
〝何てひどい事だろう〟と色々な想い(業想念)が出てきます。
そんな時、そういう私の想いも、争っている人達の想いも、
みんなひっくるめて、丸ごと全部、
〝世界平和の祈り〟という光の洗濯機の中に投げ入れてしまって、
光の洗剤でみんなきれいに洗って頂きます。
「 守護霊様守護神様! 」と、全てを守護の神霊に託しながら。

まだ真理に目覚めていない人達に代わって、
世界平和の祈りを祈れる私達が日々祈り続けてゆけば、
次第に業想念波動が浄められていって、
やがては宗教宗派も調和し、
世の中の全てが調和してゆくのだ、と、堅く信じております。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように


             世界平和

天変地変も防ぐことができますよ、世界平和の祈りで

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 続宗教問答 」
   129ページから133ページ7行目まで >


『 問119 宗教活動で病気や天災のない社会を実現できますか。

 宗教活動の根本的なことは、

神の完全円満性、大調和な相(すがた)を、
この地球界にそのまま現わし、

個人も社会も
真実の平安な生活を送り得るようになるためと、

他界へ往(い)っても、
自由自在心でいられるようにという
二つの事柄であります。

ですから、
病気や貧乏や不幸な人間の姿が
この世から無くなるための活動でもあるわけです。

しかし、病気や貧乏は
宗教的心の持ち方で直し得ることはできても、

天災を心で防ぐことはできないだろう、
と普通の人は思うことでありましょう。

ところが、天災というような形に現われる事態も、

やはり人類の心の在り方によって
起ってくる事態なのです。

いいかえれば、
この世で起るあらゆる事柄は、

すべて、人間の心の動き、
すなわち、
想念波動によって現われてくるのであります。

現在自分が病気であること、
貧乏であること、
不幸であること、

人類がしばしば天変地異によって、
不幸になっていることなど、

すべて、誰の為(な)せる業(わざ)でもなく、

自分たちの想念(おもい)の波の
現われたものであり、

人類の業想念の為せる業なのです。

この地球界に人類が誕生したのは、

この地球界に神のみ心、
み姿を現わすためであり、

人類は神のみ心、
み姿を各自に分けられて、
この世に生れ出でているものなのであります。

ですから、
人類すべてが、
神より分けられた自己の本質そのままを、
この世において現わし得れば、

この地は忽ち神の国となるのですが、

この地球界というのは、
物質的な波動でつくられておりますので、

その物質的な波動の中で生活するためには、

人類もどうしても同じような物質波動で
生活しなければならなくなります。

そこで神の本質的霊波動と物質波動との
バランスをとらなければなりません。

そのバランス、調和がとれるまでの間に、
種々と波動の変動があるわけです。

それが業想念波(カルマ)となり、

人類の不幸、
不調和の姿として現われてきているのです。

天災も波動調整の一つの現われなのです。

あの世もこの世も、
光の律動(リズム)と想念の波動とで
転回されているのですから、

この世の自我欲望からくる
業想念行為の巻き起す波動を、

一切、神のみ光のひびきに換えてしまえば、
あの世もこの世も大調和してゆくわけなのです。

業想念波を光のひびきそのものに
切り替えてゆく道が宗教の道なのです。

宗教というと、
なんだか科学的にみて、
眉つばもののように思う人がたくさんいますが、

宗教の本質は
科学の本質と一向変るものではないのです。

今日までの宗教信仰の中には、
実際に眉つばものの、
いわゆる迷信的要素のあるものがかなりありますが、

それをみて、
宗教であると思ったりする人のほうが、
研究不足なのです。

≪ 中略 ≫

現在病気の人は、
その病気の原因である想念行為を、

私流にいえば、消えてゆく姿として、

世界平和の祈りの中に入れつづけていれば、

おのずから、
病念が平和の祈りの光明波動に変っていって、

いつの間にか
病気が治ってしまっているのです。

観の転換ということになるのです。

病念や不幸の念波を、

世界平和を祈るという
人類愛的光明波動に切り替えれば、

自然と暗い念波は
明るい念波に切り替わって、

健康になり幸福になることは
理の当然であります。

≪ 中略 ≫

この世は波動の世界であることは
先程からも申し上げている通りですが、

この波動を、
一つの業想念波動から
他の業想念波動にかえたところで、

神の光明波動に
ふりかわったわけではないので、

いつまでも
この世の争いや不幸は絶えません。

まして天災地異を未然に防ぐすべもありません。

ですからあらゆる業想念を、
神のみ心である光明波動にかえてしまわないと、

この世が真実の平和世界になることはないのです。

例え医学やその他の社会施設で、
病気や貧乏がなくなったとしても、

天変地異だけはなくせません。

戦争や天変地異をなくしてしまうためには、

そうした波動を
この世からなくしてしまわねばならないのです。

戦争や天災をなくし得るのは、

ただ単なる観の転換だけではなく、

この世の波動すべてを
光明の律動(リズム)に変えてしまわねばなりません。

それがこの世の大平和を実現する
唯一の方法なのです。

そして、その実現のためには
祈りを根底にした生活よりないのであります。

祈りもただ神様を祈るだけではなく、

縦と横とを十字交叉に調和させた、

世界平和の祈りのような祈りの方法が
最も効果ある方法なのです。

世界平和は神のみ心そのままの現われ、

世界平和は人類すべての念願、

世界平和の祈りこそ、

神と人類とが全きつながりを示す
最大の祈りとしての価値があるのです。

ですから宗教活動において
あらゆる不幸のない社会が実現出来るといえるのです。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

天変地変、こればかりはどうにもならない事だと思っていました。
ですから、五井先生のご著書を読むようになって、
〝幽界に溜っている業想念波を救世の大光明で消してしまえば、
  この肉体界に現れて来ずに済むのだ〟と知った時には
とても驚きました。と同時に、神様の大愛を感じました。

五井先生は、このようなお話をして下さっています。

「 幽界だけで肉体界に現れないうちに消してしまおうとするのが、
  世界平和の祈りなんです。救世の大光明の働きなんです。
  いわゆる人類の受ける被害を、最小限度で防ぎ止めようとして、
  世界平和の祈りの神さま方が現れているんですよ 」
               ( 「 質問ありませんか 」 22ページより )

「 地上天国が出来た時には、暴風雨もなければ、地震もなければ、
  争いも飢えもないということになるんですね。
  それは理想世界であって、現実にやがて現れる世界なんです。
  必ず現れるんです。
  そのために世界平和の祈りが出来ているんですよ 」
               ( 「 質問ありませんか 」 21ページより )

「 守護霊守護神につながり、世界平和の祈りをしていることは、
  地上天国建設のために重大な仕事をしていることなのです。
  多くの人達が、こう思って祈れば地上天国は早く出来るでしょう。
  地球を救うのはあなたです。
 〝私が平和の祈りをしながら生きているのは、人類平和のために
  立派な働きをしているんだ〟と堅く信じることです。
  そのことを真実に理解出来れば、
  どんなにうれしく生甲斐がある人生になるかわかりません 」
               ( 「 生命光り輝け 」 141ページより )

うれしく生甲斐がある人生……全くその通りです。
私はあまり丈夫ではないので、体調が悪い時、
横になっていることがしばしばあります。
世界平和の祈りを始める前までは、そういう時、
「 あーあ、世間の人達はみんな働いているのに、
  私は何にもできないで情けないなあ 」
と、ため息ばかりついていました。

しかし、世界平和の祈りをお祈りできるようになった今は、
同じように横になっている時でも、
「 〝世界人類が平和でありますように-〟
  私の中の神様は、今この瞬間も、想像もつかないような
  すばらしい働きをして下さっているんだ、スゴイなあ-
  守護霊様守護神様ありがとうございます、
  神様ありがとうございます、
  世界人類が平和でありますように- 」
と、心の中はとても幸せです。

守護霊守護神様が、
私に世界平和の祈りを授けて下さったその日から、
最高に生甲斐がある人生を送らせて頂いております。
ありがたいです……。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように


             世界平和
 
プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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