真の祈り

                    < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 霊性の開発 」
   73ページ2行目から78ページ2行目まで >

『 自分が自分自身を救い、
自分が世界人類を危機から救う一人であるのだ、という自覚を、
まず貴方がもつことが第一なのです。

世界を救うという自覚を、
日本人の一人一人が自分の肚にもつこと、
それが、自分を救い、日本を救う第一のことなのです。

急にそんなことを聞かされても、
一体なんのことかわかりはしない。

自分のことさえ、
自分の子供のことさえ、
どうしてよいかわからぬのに、
世界のことなど持ち出されても、どうにもならない、
という人がたくさんありましょう。

ところが、私の説いている人類救済の方法は、
実に簡易にして、効果的な方法なのであります。

あまりやさしくて、簡単な方法なので、
そんなことで効果があるものか、と思われる人は、
他にどのような素晴しい方法があるのか、
私に聞かせて頂きたいのであります。

誰にでも出来る人類救済法、自己救済法は
一体どのような方法なのでありましょう。

それはたゆまざる〝祈り〟なのであります。
世界平和の祈りなのであります。

≪中略 ≫

祈りとは、以前にも申したように、
生命を宣(の)り出す、
生命を宣言する、
生命そのものになる、ということで、
神と一体になることであります。

神と一体になること以外に、
この世を救う道が他にあるでしょうか。

私は絶対にないと断言するのです。

≪ 中略 ≫

私が、何事をも超えて、祈りを強調しているのは、
人類の犠牲を、世界の惨事を、
より少なく済ませたいからなのです。

真の祈りなくしては、
この人類はかつてない最大の惨事を味あわされるのは明らかなのです。

では、真の祈りとは如何なる方法でやればよいのでしょう。

それは、私が提唱している〝世界平和の祈り〟なのであります。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、守護神様ありがとうございます
という称え言です。

この称え言は、
世界人類を救済しようと働いておられる、
マイトレーヤ仏 (これは、釈尊が予言された、最後の救世主弥勒仏なのであります)
を中心にした守護神たちと、
私共の祖先の悟った霊魂たちとの協力団体、
即ち人類救済の大光明に
私共肉体人間が直結する祈りなのであります。

これは神霊側と約束されたことなのであります。

≪ 中略 ≫

肉体人間が、いよいよその神性を顕わす時が来ているのです。

神霊と肉体人間とが、
全く一つになってこの世界を救わねばならぬ時が来ているのです。

むずかしい宗教理論も、現世利益の宗教も、
もはや今の急場には無用になりつつあります。

現世利益即悟りであり、
悟り即人類救済でなければ、
急迫したこの世になんの役にも立ちません。

私は、こうした末法の世に役立つ為に、
この世に存在しているのです。

私が、今こうして書いている文意も、
常に話している言葉も、
肉体の五井昌久が、
個人として書いているのでも、
話しているのでもありません。

私は、常に神の器として文章を書き、
法話をしているのであります。

神は人類を救済しようと、
あらゆる手段で肉体人間に働きかけているのです。

あの人を使い、この人を使い、
ああもやりこうもやり、
一瞬の休みなく働きつづけておられるのです。

大生命としての神、守護神としての神、
神は二つの働きに分れて、
この人類に、神の真の姿を顕現しようとしておられるのです。

人間に不幸が来るのは、
決して神がさせているのではなく、

人間の業が、
人類の誤まった想念行為の集積が、
崩れ去ってゆく時に起る姿なのであります。

戦争も天災地変も、
すべて悪と現われる姿は業想念の消えてゆく姿なのです。

もし私たちが、こうした恐怖から遁れたいとするならば、
こうした業想念を空廻わりさせてしまうより仕方がないのです。

それは、私が提唱する世界平和の祈りを真剣に称えることなのです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回の文章の中で、五井先生は世界平和の祈りについて、
「 人類救済の大光明に私共肉体人間が直結する祈りなのであります。
  これは神霊側と約束されたことなのであります 」
と書いておられます。
この〝約束〟という事が書かれている文章をもう一つ、
2017年6月5日のブログでご紹介した文章と重複しますが、
引用させて頂きます。

「 個人が救われてから人類に及ぼすということでは、
  もう遅い時代になってきています。
  私どもの提唱しております世界平和の祈りは、
  そこが一番大事なところになっていまして、
  自分自身が救われる身でありながら、
  世界人類の平和を祈る人類愛の祈りを祈ることによって、
  自分も人類もともに神様の大光明の中で救われてゆく
  ということになるのであります。
  それはどうしてそうなるかと申しますと、
  この祈り言は、肉体身の私が、神体の私と一つになった時、
  大神様との約束事として生まれた祈りだからなのであります。
  すべて宗教の祈り言は、神様との約束事でなければ、
  その効果がないのです。
  あらゆる呪文や唱え言は、
  そういうところに効果があるのです。 」
                    ( 「 直言・提言・進言 」150ページより )

とっても易しい〝世界平和の祈り〟ですが、
実は想像もつかぬほど、凄い凄い祈り言なのですね。
皆様、
無限の愛なる、無限に凄い世界平和の祈りを授かって、
本当に、この上なくありがたいですね。
私は今、「 守護霊様守護神様 ―! ありがとうございます…… 」
と、改めてよろこびをかみしめています。

日常生活の中で何気なく祈っているように思えても、
この〝真の祈り〟を祈っているのは〝真の自分〟です。
五井先生はこのような文章も書いて下さっています。

「 祈りとは、人間内部の神性が、宇宙の中心者とつながって、
  光の交流をするためになされるものであります 」
                         ( 「 宗教問答 」139ページより )

〝私の中の、真の私がお祈りして下さっている〟

そう思うと、自分の心の奥に向かって、ありがとうございます……
分霊守護霊守護神直霊という真の私に向かって、ありがとうございます……
只只、ありがとうございます……だけになります……。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞ、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように




             世界平和

地球霊王様

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 天の心かく在り 」
   28ページから32ページ5行目まで >


『 人間が生きてゆくにおいて、どういう道を行くのが一番いいか。

それは、やっぱり神様のみ心を現わすことなんですね。

神様のみ心を現わすために、
一人一人の人間も生まれていれば、
いろいろな民族や国家もあるわけです。

≪ 中略 ≫

ところが人間は、神様の想いに外れて久しく、
長い間、神様のみ心に外れた行ないを、
ずーっとしつづけてきたわけですよね。

それで、神様のみ心を外れた行ないが、
戦争になったり、天変地変になったり、
何遍も、何遍も繰り返されてきているわけです。

≪ 中略 ≫

そうすると、
これ以上、今までの神様のみ心を外れた生き方をしていたんでは、
もういずれ地球が破滅することは間違いないんです。

≪ 中略 ≫

どんどん、どんどん凄い武器になって、
それを実験するだけでも地球に悪影響を及ぼしてしまうような、
そういう時代になってきているわけですね。

実験するだけでどうしてダメになるかというと、

実際に原子の灰なんかが降ってくるということもありますが、

それ以上に宇宙の気を乱すわけですね。

調和している宇宙の気を乱すわけです。

そういうものは争いのための道具ですから、

原爆の実験をしながら、
調和できますようにと祈っている人はいないんですよ。

どけだけ効果があるか、
どれだけ敵が余計に死ぬか、
そう思ってやっているわけでしょう?

そういう想いが地球にみなぎり、
宇宙にみなぎるわけですよ。

それはぶち壊す想いです。

物を壊し、人を痛める想いなんです。

だから、そういう想いが、地球をぐるぐる回っていれば、
天変地変が起こらないわけがないんですよ。

そういう想いが、天の気を、宇宙の気を乱すわけです。

気が乱れれば、乱が起こるんです。

それが天変地変になる。

空でも、大地でも、みんな気によって動いているんです。

大地は生きているんです。

地球は生きているんです。

地球はただの土じゃないんですよ。

地球霊王というのがいらして、
地球とはその地球霊王の体なんです。

霊の体なんですね。

霊体が中にあって、肉体があるのと同じように、
霊があって、外が土のようになっているわけですね。

それを、みんな単なる土だと思っている。

何でもないと思っている。

心なんかないと思っている。

ところが、大地には心がある。

だから、大地の心を乱し、気を乱してしまうわけです。

そうすれば、大地震も起きるでしょうし、
天の気を乱せば、暴風雨も起こるでしょう。

そういうふうに、いつでも天変地変が起こり得るような状態になっている。

このまま、このような状態が続いてゆけば、

戦争にまでならなくても、
この地球は天変地変でダメになっちゃうかもしれない。

ですから、もうこういう生き方をやめなきゃいけません。

和して同じないような、
各々の天命が調和し、神のみ心に調和する。

縦に神のみ心に調和し、
横に人類相互が手を握り合って、

しかも自分に課せられた天命を完うしてゆく。

そういう生き方をしなきゃならないわけなんです。 』



< 五井昌久著 「 天の心かく在り 」
   128ページ7行目から129ページ11行目まで >


『 幽体、幽界(潜在意識層)にある業想念をきれいに浄めてしまえば、

知らないうちに
「 ああこれは悪いことだな 」
「 うん、これは勇気を出して止めなきゃいけない 」
とかいうふうに自然に思ってくるわけですね。

そういうのが祈りの効果なんです。

私共が世界平和の祈りを祈っていますと、
神様の愛の光が世界中にふりまかれるわけです。

幽界に争いの想い、自分勝手な想いが一杯たまっているんだから、

そこへ光が神様のほうから流れてゆく。

そうすると幽体・幽界がきれいになりますね。

すると本心が目覚めて来て

「 ああこんな原爆なんか作っちゃだめだ、
  原子爆弾の実験なんかいけないんだ 」

とか「 争っちゃいけないんだ、
    なんとしても争いをなくさなきゃいけない 」
というふうに各国が思いはじめるわけです。

そうなって、やがて調和して本当に仲よくなるんだけれども、

一朝一夕で出来るものじゃない。

しかし、少なくとも戦争になるのを防ぐことは出来るわけです。

それが世界平和の祈りの功徳なんです。

みなさん、おじいさんでも、おばあさんでも、子供でも
〝世界人類が平和でありますように〟と思う時には、

その人の体を通して光が地球界に流れてゆくんです。

それで地球界の争いの想いを浄めているわけです。

その浄めによって戦争や天変地変が防げているのです。

だから祈る人を一人でも多く作れば、
それだけ戦争は起こりにくい、ということになるんですよ。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回書かせて頂いたお話の中で、五井先生は
「 大地には心がある 」と、おっしゃっています。

「 大地は生きているんです。地球は生きているんです。 
  地球はただの土じゃないんですよ。
  地球霊王というのがいらして、地球とはその地球霊王の体なんです。 」
と、教えて下さっています。

皆様、地球霊王ってご存知でしたか?
私は知りませんでした。
五井先生のご著書を読んで初めて知った時、
〝地球霊王かあ……〟と顔がほころんできて、
なぜだかとても嬉しくなりました。

我々人間の業想念は、地球霊王様の美しい体を汚してばかりですね。
最近報道されているニュースを見ていても、
「 地球霊王様申し訳ございません 」という気持ちになります。

先日、家の近所をゆっくりと歩きながら、
「 地球霊王様ありがとうございます
  世界人類が平和でありますように━ 」とお祈りしていました。
すると地球霊王様が、
「 世界平和の祈りを、しっかりお祈りしてくれよ! 」
と、おっしゃっているような気がしてきました。
「 はい、地球霊王様。守護霊守護神様が、
  私と一体になってお祈りして下さっているから大丈夫です! 」
私は心の中で元気一杯に、そうお答えして、
地球霊王様とほほえみ合いました。

五井先生は、このようなお話もして下さっています。
「 皆さんは、自分たちが平和の祈りをしても
  大した働きがないって思っているかもしれません。
  ところが一人が祈る平和の祈りというのは、
  素晴らしい力を持っているんです。 ≪ 中略 ≫
  自分の平和の祈りも神様がやっていらっしゃるんだ、
  守護霊守護神が自分の身体を使って平和の祈りをしていて下さるんだと、
  そういう感じで平和の祈りをしてもいいわけです。
  そうすると非常に勇気が湧いて来ます 」
                           ( 「 天の心かく在り 」75ページより )

これからも守護霊守護神と一体になって世界平和の祈りを祈り、
地球霊王様によろこんで頂きたいと思います。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

神の子の姿を現してくれるのは守護の神霊ですよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 神は沈黙していない 」
   11ページ9行目から12ページ4行目まで >

『  私は、人間は神の分霊であり、神の子であるけれども、

分霊としての自分一個人、
肉体人間一人の存在として生きている限りは、
この世において、神の子の姿を、はっきり現わすことはできない。

少しぐらいの善意は、
この世界の烈しい業想念の波の中では、
すぐに蔽われてしまう、
といって人間は業生ではない。

業生ではないといっても、
真実の生き方を知らないでは、
業の子と同じように、
悪行為をしないでは
この世では生きてゆかれないようなことになってしまう、
というのであります。

そこで、真実の人間は、
肉体の自分個人が、自分そのものではなく、

祖先の悟った霊魂、
つまり、霊魂としての親である守護霊と、

霊としての親である、
いいかえれば、守護霊の親、
肉体人間の分霊魂にとっては、
祖父母にあたる守護神との、
完全なるつながりによって、

はじめて、神の子人間の真実の姿を、
この世において現わし得るものである、
と説いているのであります。 』



< 五井昌久著 「 神は沈黙していない 」
   14ページ9行目から17ページ13行目まで >

『 私が宗教の道に足を踏み入れてみて、一番強く感じたことは、

多くの人々が神に救いを求めながら、
実際に安心立命している人、
神の子としての真実の姿を出しきっている人が何人あるだろうか、
ということでした。

≪ 中略 ≫

まして、神も仏も無い人たちにとっては、
救いとか救われとかは問題でなく、

その場、その時々の自我欲望の満足感に、
その一生をかけているわけなのであります。

こうした地球界における人類に、
神の子の姿が真実に現われきるのには、
一体どうしたらよいのであろうか、

私は随分と考えつづけ、
私の生命を捧げますから、
どうぞこの問題を解決させて下さい、
と祈ったものでした。

天国に至る門は狭く、滅びに至る道は広し、
と聖書にもありますように、

真実の救われの道、
神の子の姿を現わしきる道は、
なかなか厳しく狭いのです。

それはどうしてかといいますと、
この地球界は物質世界でありまして、
粗い波動の世界、低い次元の世界であります。

ところが、霊なる人間、
直霊から分れた分霊としての人間は、
光明波動そのものでありまして、
微妙な波動の自由自在に活動し得る存在者なのです。

この微妙な波動をもった高次元の存在者が、
低次元の物質波動を身に纏って
生活しなければならないのですから、
その不自由さはおして知るべしです。

この不自由さの中で、
霊なる人間は、次第に物質波動になれていってしまい、
自己の本質から離れていってしまったのです。

いわば、肉体波動、物質波動に同化していって、
微妙な霊波動、自由自在なる心が、
いつの間にか、低次元の波動に蔽われていったのであります。

このギャップ(すき間、へだたり)が業波動となって、
今日までの人類世界を
善悪混淆の世界としているわけなのです。

≪ 中略 ≫

この業想念波動を超えて、
真実の神の子人間を
この世においてもあの世においても現わし得るのは、

先程から申しておりますように、
真実の人間の在り方である、
守護の神霊との完全なる一体化がなされなければ、
到底駄目なのであります。

何故かと申しますと、
分霊魂魄の人間だけでは、
烈しく渦巻いている業想念波動の壁を突き破って、
高次元の微妙な波動の世界の自由性を
現わすことはできないからなのです。

神の子の本質は、
その本住の地である、高次元波動の世界(神の国)から、
絶え間ない、光明波動を流入して貰っていなければ、
現わし得ないのです。

そこで、人間は凡夫なのだから、
阿弥陀仏のみ心の中に入りきって、
阿弥陀仏のみ心の中から
改めて真実の人間の生き方を頂き直すという、
唱名念仏の教が生まれでたのであり、

肉体人間では何事も為し得ない、
イエスのみ名を通して神につながるのだ、
というキリスト教の教があるのであります。

私の教は、阿弥陀仏、イエスというところを、
人間一人一人に関係深い、
祖先の悟った霊であり、自己の魂の親でもある守護霊、
そして直霊の救済面の現われである守護神という、
何教の人にでも、誰にでも納得できる形で、
人間が神の子の真実の姿を現わす道を説いているのです。

守護霊、守護神というのは、
前から申しておりますように、
自分自身の本質的な存在なのですから、
切っても切れない仲なのでありますから、

こちらがその方に少しでも想いを向ければ、
向うからは光の波動を流しやすくなるのです。

それを常に守護霊、守護神への感謝を
しつづけているような態度で生活していれば、
これはなおさらに守りやすくなり、
神の子の姿を早く現わし得るようになるのです。

守護の神霊との一体化の姿が、
真実の人間の姿なのですから、
そういう心でいさえすれば、
神の子の姿が現われないではおかないものなのです。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

五井先生は常に、このように教えて下さっています。
「 守護霊守護神が、本心を覆っている業想念を消してくれて
  神の子の姿を現してくれるのだから、いつも感謝していなさいよ 」と。

五井先生の講話集の中に次のような話が載っていました。
「 知的なインテリの宗教研究家というのは、
  守護霊守護神ということをとても嫌うんですよ。
  外なる神というものを嫌うんです。
  内なる人間性というものばかり考える。
  それで仏教哲学を好んでいる人には、インテリが多い。
 
  何故仏教に魅力があるかというと、外に頼らないで、
  内なる仏、仏性というものを出そうとして、
  座禅したり、いろいろ修行をする、というところに魅かれている。
  それで禅なんかが欧米で好かれています。
 
  自分の力で中の仏を出す、というのですが、
  自分の力で、と思った時には、もう中のものとは離れている。
  それがわかっていない。
 
  自分自分とそうやって力んでいる自分というのは、
  どこにあるかというと、それは肉体の自分なんだね。
  肉体の自分が力んで、肉体の自分が中なる仏を出そう、
  神体の仏を出そうという、
  そういう想いでは、いつまでたっても仏は出てこない 」
                     ( 「 みんな救われている 」 17、18ペーシ゚より )

私はなぜだか、五井先生のご著書に書かれてあることは、
何の抵抗もなく、スースーと心に入ってきました。
〝守護霊〟ということにしましても、
よく霊能者の方などが守護霊について色々語っておられるような話は、
あまり分からなかったし、何も感じなかったのですが、
五井先生が説いていらっしゃる守護霊守護神については、
心が何かを感じ、心が深くうなずいて、
どんどんひきつけられていきました。
そして、五井先生がおっしゃっていることを全部信じて、
常に守護霊守護神に感謝することを深めていくうちに、
他の人を見ても、その人の守護霊守護神の方を見つめ、
感謝する、という事がだんだんできるようになりました。
たとえば、誰かのことが心配で気になるような時でも、
その人の守護霊守護神の愛を確信しながら、
「 誰々さんの天命が完うされますように 」とお祈りできる、
ということは、実にありがたいことです。

五井先生の教えというのは、どこから見ても、
自分だけが救われるのではなく、自他が共に救われてゆく、という
大きな大きな光の教えですね。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

どのような環境でも、心豊かに生きてゆける教えですよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 心貧しき者は幸いなり 」
   64ページから72ページ7行目まで >


『 新約聖書にあります〝心貧しき者は幸いなり〟というのと、
〝心豊かな生活〟というのは反しているのではないか、
  説明してほしい、という質問です。

〝幸いなるかな、心貧しき者〟というキリストの言葉の、
心貧しいというのは謙虚ということです。

心が謙虚である。

どんな才能があっても、どんなに地位があっても、
自分はへりくだっていて、

すべては神さまのみ心により、
神さまの力によって、
自分がさせて頂いているんだ、
という想い方、心というものが、
心貧しきものというものなのです。

≪ 中略 ≫

心豊かな者というのは、
現実的にどんな貧しい生活をしていても、
あるいは地位が低くても、

いつも豊かな心で、
神の御恵みを心の中にいっぱい受けて、

すべてが有り難いなあ!
なんといういい空だろう!
なんといいこの大地だろう!
なんて美しい花だろう。風も気持ちがいい。水の流れも快し!
小鳥たちが囀っている。ああなんといいんだろうな!
というような、

どんなに生活環境が貧しくても、
心が大らかに、美しく、感謝に満ちていれば、
心豊かな者なのです。

従ってどんな環境にも負けずに、
環境に把われずに、
いつも感謝の心がいっぱい心の中に満ち満ちている人は、
謙虚であって、しかも心が豊かである、
ということになるわけです。

宗教の根本は、
環境に把われないで、
いかなる環境においても、
心が常に豊かであり、明るく、美しく生きる。
そういうことで、これが一番大事なことです。

≪ 中略 ≫

お釈迦さまは、悟る前にどうしたかと言うと、

生老病死、
つまり、この世で人間はだんだん年をとり、
老人になって汚くなってくる。

今まで美しい人がみな汚くなってゆくということを〝老〟と言った。

病気におかされて、苦しんでいる人がある。
貧乏によって苦しんでいる人がある。

そういう状態をみて、
生老病死という苦しみを解脱するために、どうしたらいいのか、
ということを考えて考えて瞑想したわけです。

そして、生老病死という四苦を解脱する道を悟って、
それが仏教になっていったわけですね。

≪ 中略 ≫

いかに病身病体であろうと、
いかに貧しい環境にあろうとも、
いかに追いつめられた環境にあろうとも、
地位が低かろうとも、
そういうことに心が把われないで、

いわゆる下界と言うか、
外界の想念波動を超越して、

心がいつも豊かで明るく、
美しく生きられる方法をお釈迦さまは考えられたわけです。

煎じつめれば何かと言うと、
喜怒哀楽、
五感六感に感じる苦しみというもの、
痛みというものを超えて、

本当のいのち、
本当の世界からくる喜び、
本心からくる明るさ、美しさ、調和
━━そういうものを、肉体の中に現わそう、ということなのです。

≪ 中略 ≫

神さまの世界というのは調和している。
みんな仲よくしている。
心が平和である。
あらゆるものに把われがない。
自由自在に動ける、という世界です。

そういう世界に行くためには、
肉体のあらゆる五感六感の想念波動を超えていかなければならない、
という方法をお釈迦さまは言葉で教えたし、
体でいわゆる統一して坐禅観法して教えられた。

イエスなどもそうです。

〝汝らの内なる神の国を観よ〟、
自分の内に神の国がある、
心の中にあるんだから、それを観なければだめだ、
と言って教えているわけです。

宗教というものは、
どういう教え方をしようと、
人間の本体を悟らせようとしている。

〝神と人間〟との関係をハッキリさせて、

自分の本心をどこの世界にいても、
本心がそのまま現われてくるような、
そういう人間に仕立て上げようとして、
宗教の先達はみんな苦労して来ているわけです。

≪ 中略 ≫

一人一人の人間が業想念に煩わされないで、
業想念を解脱して、
人間の本当の姿、本心を顕していさえすれば、

国というもの同士の戦争などなりっこないんだし、
人類は平和になるわけです。

ですから国家を平和にし、人類を平和にするためには、
やはり一人一人の人間の心が大事なのです。

どんな老人、どんな子供、どんな人であろうとも、
一人一人の想いというものが、
人類の運命に影響するわけなのです。

そこで私どものしている
〝消えてゆく姿で世界平和の祈り〟が大事なんです。

現象界の現われてくるものは、すべて消えてゆく姿なんだ。

どんな喜怒哀楽も、
どんな哀しみも苦しみも
みんな消えてゆく姿なんだ、
と消えてゆく姿と思って、

それを世界平和の祈りの中に入れていけば、

元々本来の、神の大愛、大調和のみ心がそのまま光となって来ているのを、
今まで欲望とか把われで邪魔していた、
その欲望や把われが消えてゆく姿として現われてくるのと引き換えに、
本心の姿、本心の光がこっちに入ってくる。

業と光とを入れ替えているのが、
消えてゆく姿で世界平和の祈りなんです。

≪ 中略 ≫

世界平和の祈りというのは、
一人一人がちゃんと浄まってゆくと同時に、

その祈りのひびきが大光明波動になって、
世界中にふりまかれる。

そうすると世界中が少しずつきれいになってゆく
━━そういうことを皆さん方がやっているんだ、
と私は教えているわけです。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

五井先生は、よくイエス様やお釈迦様の話をなさいます。
〝これはこういう意味の事を言っているのですよ〟という具合に、
イエス様やお釈迦様の教えの真意をわかり易く説明して下さっています。

五井先生が一番最初に書かれたご著書「 神と人間 」の、
冒頭〝はしがき〟の中に、このような文章がありました。

「 戦争、天災、病苦、死苦、それらの諸苦を消滅しうることが
  はたして可能であろうか、
  可能であると私は答える。
 
  先哲、釈迦、キリストはそれらの諸苦を超越し、
  みずからの体験をもって弟子を教え導いたのであり、
  弟子たちはその教えをいい伝え書き伝え、
  それが仏典となり、聖書となって、
  現代に至るまでの精神界の光明となり道標となってきたのである。
 
  仏典といい、聖書といい、
  ともに人類救済の原理が書かれているのであって、
  その説かれたる通りの行いを人類のすべてが行ずれば、
  必ず地上天国が実現するのであるが、
  不幸にして、人類はこれらの経典を単に精神の糧としたのみで、
  行いにまで及ぼすに至らなかった。
 
  いいかえれば人類のほとんどが、
  二聖者の真意を解し得なかったのである。
  しかしこれら聖者の及ぼした影響は、
  人類の心の底に深い根を下(おろ)し、
  しだいに強い光となって現れようとしているのである 」
                               ( 「 神と人間 」 9、10ページより ) 

現代には五井先生という方が現れて、今の時代を生きる人々が
無理なく行じられるような易しい教えを説いて下さいました。

世界平和の祈りは、誰がどこでどのように祈っても、
祈れば必ず救世の大光明が輝き渡ります。
救世の大光明の中には、お釈迦様もイエス様も働いておられます。
やおよろずの神々、あらゆる聖者賢者が結集して、
地球人類救済のために働いて下さっています。

そんなことをしみじみと思いながら静かにお祈りしていたら、
〝まるで神様の国にいるみたい〟と何だか嬉しくなってきました……
……いいえ、〝いるみたい〟ではなく、
「 世界平和の祈りを祈っている時、あなた方は神界にいるのですよ 」
と、五井先生ははっきりおっしゃっています。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうか、私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

因縁因果を超えさせてくれる教えです

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 宗教問答 」
   95ページ3行目から97ページ5行目まで >


『 問32  この世のすべては因縁因果の輪廻によって現われているので、
       因縁因果に支配されぬものはない、と宗教的にはいわれていますが、
       人間は因縁にがんじがらめに縛られているものでしょうか。
       この点お教え下さい。

答  この世の幸不幸、様々な環境は、
因縁因果によって現われていることには違いありません。

因縁因果を現代的にいえば原因結果であるのですから、

原因のない結果がないと同じように、

因が縁にふれて果を生ずるのですから、
この世はすべて因縁因果によって生じていることは間違いないのです。

しかし、こうした因縁因果を超えた世界に住もうと思い、
または人々をそうした世界に住まわせようと思って、

古来から宗教家といわれた人々が、
様々な修業をしてきているのであります。

そして大聖といわれた人々は、
因縁因果の世界に住みながら、

同時にその因縁因果を超えた
神仏の世界に居住していたのであります。

ですから、この世の現われは
因縁因果の波によってなされていながら、

その人の生き方いかんによっては、
その因縁因果の波を超越して
生活することも出来るのであります。

それがいわゆる宗教生活なのであって、

因縁因果だけを問題にして、
あなたの因縁がこうだから、こういう結果が生じたのだ、

あなたがこのような心をもったから、こんな運命になったのだ、
あなたの因縁が悪い、あなたの心が悪いというような説教は、

真実の宗教者の嫌むべきことなのであります。

宗教とは、因縁因果の教ではなく、

因縁因果を超えた、つまり原因結果を超えた神仏の教なのであります。

神仏の中には、
この世でいう悪や不幸の波をもつ、因縁因果などはないのであって、

悪や不幸や病気や貧乏は、
すべて神仏の心を離れた無明、
つまり迷いの中から生じたものなのであります。

ですから、この世は因縁因果の波動であって、
人間はその因縁因果の束縛を逃れることは出来ないと思っているのは、
真実の宗教を知らないということであり、

神仏と人間との真実の関係を知らないことから起っているのであります。

神は絶対なる智慧、全能力者でありまして、

神は原因結果を同時にもっているものであり、すべての権能であります。

そして人間は、そうした全能者の分生命、分霊なのであって、

その他の何者の子でもないのであります。

そう考えますと、
完全なる智慧者の絶対なる愛の神から分れた人間の世界に
悪や不幸が実在するわけがないのです。

ところが実際のこの世は悪や不幸で充満していて、
因縁因果の波に翻弄されて嘆き哀しんでいるのであります。

これはどうした間違いからくるのかといいますと、

現在の地上人類が、
神の完全性、人間の完全性を否定して、
業想念の因縁因果の波を殆んど全肯定していることから起るのです。

そこで真の宗教観の確立が急がれることになるので、

人間は神の子であり、本来完全性であって、

この世の因縁因果の波、
悪や不幸や病気等々の悪想念は、
過去の誤った想念行為の消えてゆく姿である、

という真理の言葉を肯定し、
その業想念を常に消し去ってくれている
守護の神霊への感謝行をつづけてゆくことが、
唯一のなすべきこととなってくるのであります。

そうしてゆくうち、
この世の因縁因果の波の底から、
神仏の完全性、
人間の本来因果たる汚れなき生命の力が、
この世にはっきり真善美の姿を現わしてくるのであります。 』



< 五井昌久著 「 続宗教問答 」
   33ページ8行目から34ページ2行目まで >


『 仏教的には、
仏のみ心からそのままでている想念行為の波動を、本来因果といっていて、

仏のみ心から離れた想念行為の波動を業因縁といっているのですから、

私はこの仏のみ心そのままに現われている本来因果のほうを、主にして取りあげ、

人間は仏性であり、神の子であるのだから、
暗い運命や不幸な状態、不調和な姿があるわけがないのだ、

現在現われている不幸、不調和といった環境は、

人間が、神のみ心から離れていて、
神の光明に浴そうとしなかった想念行為、

つまり光明に触れなかった暗い世界が、
今、光明に触れて消えてゆく姿となって、消え去ろうとしている、

波動調整のための、ゆれ動く姿なのだ、

いいかえていうならば、業因縁の消えてゆく姿なのだ、
と、普通暗い面にばかり用いていた因縁という言葉を、

神のみ心が人類世界に現われ出でるための、
暗の消えてゆく姿、として光明顕現の面にだけ使うことにしているのであります。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

仏教を特に学んだことのない私でも、
因縁因果という言葉は以前から知っておりました。
しかし、本来因果という言葉は、五井先生のご著書で初めて知りました。
この、本来因果の世界こそが、実は本ものなのですね。

五井先生は今回の文章の中で、
「 宗教とは、因縁因果の教えではなく、因縁因果を超えた、
  つまり原因結果を超えた神仏の教えなのであります 」
と書かれていますが、他のご著書に次のような文章がありました。

「 因縁因果を説くのでも、心の法則を説くのでも、
  人間の今日までの心は、こうしたものであったのだけれど、
  人間の本体というものは実は神そのものであって、
  自由自在なる大智慧、大光明をもつものであるのだ、
  ということを知らせるための前提のようなもので、
  指導される側が、そうした方法に心がひっかかってしまうような教えを
  なすべきではないのであります。
 
  例えれば、月を差す指のようなもので、
  月を差した指だけをいつまでもみつめさせて、
  月のほうに一向に眸がゆかぬような教えをしたのでは、
  その教えがかえってマイナスになって、人間がお互いの欠点を探りあい、
  お互いの病気や不幸のある度に、あの人の心の中に何かの間違いがある、
  と責め合う想いが自然と湧きあがってきてしまうのです。
 
  そこで私は、
  この因縁因果説も、心の法則も一度は認めさせながら、
  それをさし示した指を、月(神)のほうに集中させるように、
  病気も不幸も貧乏もすべて
  過去の神を離れていた想念行為の消えてゆく姿なのですよ、
  と月をさす指を消さしめて、
  
  それと同時に、消えてゆく姿を想う時に、
  あなたのうちにある神の姿、本心が輝きでてくるのですよ、
  ですから、ひたすらその業想念を消していて下さる、
  守護霊、守護神に感謝しつづけなさい。
  
  そうすれば、自己の業想念にも、他の人の業想念にも把われず、
  自分の心を赦し、人の心も自ずから責めさいなまない、
  愛と赦しが自然と行われ、
  お互いの心の中の神性が、いつの間にか輝き出てくるのですよ、
  と説いているのであります 」
                             ( 「 人類の未来 」 52、53ページより )

五井先生の教えは、本当に心を明るくしてくれる光の教えです。
どんな時も、光(神)の方に集中できるように説いて下さっているので、
たとえ辛い事があっても、守護の神霊(光)にすがりつきながら、
希望を持って踏んばることができます。

守護霊守護神への感謝行、消えてゆく姿で世界平和の祈り、
という五井先生の教えを、日常生活の中で常にやり続けてゆけば、
誰でも必ず因縁因果を超えることができます。
……と言うより、守護霊守護神様が超えさせて下さいます。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうか、私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和
プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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