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まず我々が、世界平和の祈りを世界中にふりまきましょう

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 永遠のいのち 」
   174ページ4行目から177ページ8行目まで より抜粋 >

『  この世界に現われている悪いこと、
 不幸や災難は、
みんな過去世の業因縁で、

つまり過去世に神様の完全円満なみ心から離れて、
自分勝手な想いを出して、
自分勝手に生きたその想いが、
だんだん重なり合って、
ある限度溜まってきますと、

そうしたものは、本来実在しないものですから、
どうしても消え去らなければならないようになっているのです。

その消えてゆこうとするのが、
不幸災難になって現われるわけです。

だから不幸災難が現われた場合には、
〝 あーこんな不幸なことがあって、
   こんな災難があって、
   これは大変だ、
   どうしようどうしよう 〟
というように、悪いほうに把われないで、

その想いを、
〝 過去世の因縁が、
   いわゆる神様を離れていた悪い想いが、
   みんな消えてゆく姿として現われてくるんだな、
   ああ消えるんだな、
   消えるんだな、
   どうぞ神様消して下さい、
   世界人類が平和でありますように 〟
といって、
世界平和の祈りに切りかえてしまうのです。

ところが人間の想いというものはおかしなもので、
悪いことばかり想うんですよ。

こうなりゃしないか、
ああなりゃしないか、
そういう要素がたくさんありますから、
想うのは無理ない。

想うのは無理ないから、
想った時が大事なのです。

想った時に、
ああそれは過去世の因縁の消えてゆく姿、
神様どうぞこれを軽く消して下さい、
というふうに世界平和の祈りの中に入れてしまえば、

たとえば十出てくるものが三になり二になって、
ずーっと小さくなる。

何故かというと、
神様の光が入ってきますから、
神様の大調和の光が入れば、
不調和の波が消えるでしょう。

だからどんな不幸が来ようと、
災難が来ようと、
病気になろうと、
〝 これは必ず良くなる前兆なんだ、
   みんな過去世の因縁が消えて良くなるんだ、
   世界人類が平和でありますように 〟
と思って下さい。 』


< 五井昌久著 「 永遠のいのち 」
   87ページ10行目から89ページ8行目まで >

『  〝 人間は肉体じゃないんだ、
     肉体は一つの現われなんだ。
     そしてそれはすべて消えてゆく姿なんだ、
     みんな神のみ心の中にいるんだ 〟
ということが本当に体得できると、
この世界が変わってくるんです。

宇宙のほうでは、
宇宙を運行している神々が、
どんどん運行し変化してゆきます。

肉体のほうでは、
守護神が変化させてゆくわけです。

その宇宙の運行の変わり方と
肉体人間の変化の状態が一つにならないと、
不幸が出てくるわけです。

ずれた分だけ天変地異も出てくるし、
戦争も出てくるわけです。

そうしてはならないと、
宇宙の動きに波長を合わせようと思って、
私達は一生懸命、
世界平和の祈りをしているわけです。

宇宙を運行させている仕方と、
人間が変わってゆく変わり方とを、
ピタッと同じようにしようと思って、
神々が、
守護霊守護神が一生懸命働いて下さっているのです。

ある時は病気になるかもしれない、
ある時は不幸になるかもしれない。

そうやって、
バランスのとれないズレを消して、
合わせてゆくのです。

今がその状態です。

ピタリと合う状態を、
一番早く現わすにはどうしたらいいかというと、
世界人類が平和でありますように、
私どもの天命が完うされますように、
という祈り言を唱え続けることなのです。

そういうふうに、もう定まっているわけです。

だから日常茶飯事のいろいろの想い、
人が悪い、自分が悪い、
あいつがいい、こいつがいい、
というすべてのことを、
みんな消えてゆく姿にして、
世界平和の中へ入れてしまう。

ということはとりもなおさず、
無為にして為せ、
自然法爾、
あるいはみ心のままというのと同じことなんです。

み心のままなんだから、
世界平和の祈りは一度や二度、三度や五度、
一年や三年や五年やったからいいかというと、
そうじゃない。

一生を通して、
生命ある限り、
世界平和の祈りは続くわけです。

この世でもあの世でも続くわけです。

世界平和の祈りというのは、
そういうものなのです。 』


< 五井昌久著 「 永遠のいのち 」
   159ページ1行目から10行目まで >

『  だからまず我々が、
 集まった人が先達となって、
世界平和の祈りを世界中にふりまくんです。

自分を通して世界平和の祈りをふりまいてゆくと、
知らないうちに周りが明るくなり、
日本が明るくなり、
世界が明るくなってくる。

そうすれば形の世界は自ずから変わってくるわけです。

そういうことを私どもはやっているわけですから、
どうぞ皆さんも自信を持って、
何かあったら、
ああ消えてゆく姿だな、
世界人類が平和でありますように。

自分の世界平和の祈りによって、
誰かしらが救われてゆくんだ、
世界のためになっているんだ。

例えば八十のお爺さんでも、
九十のお婆さんでも、
「 世界人類が平和でありますように 」 ってやっていれば、
それは自分を通して光がふりまかれてゆくんだと、
そういうふうに自覚を持ちまして、
それで祈りを続けて下さい。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

新型コロナウィルスの影響が、多方面に出て来ています。その為、
多くの方が様々な事で大変な想いをしていらっしゃるようですが、
いつも「 ぶりらんて 」をご覧下さっている皆様の中にも、
何か影響を受けて苦労されている方がおられるのではないでしょうか。
また、自分は大きな影響を受けていないにしても、
愛深い方は心を痛めていらっしゃるかもしれません。
五井先生は、あるご著書の中で次のような文章を書いて下さっています。

「 病人の問題でも、貧乏人の問題でも、政治の問題でも、
  そのすべては、神のみ心が、個人的にも社会国家的にも人類的にも、
  すっかり現れきるための、業の消滅状態として、
  種々な、不幸災難と思われることが起こってくるので、
  愛深い人たちは、そうした業の消えてゆく姿が、
  一日も早く、痛み少なく消え去ってゆきますようにと、
  世界平和の祈りの中で、祈りつづけていればよいのであります。
  業を浄め去るのは、すべて守護の神霊の役目でありますので、
  あなた方は、すべての守護の神霊の働き易いように祈りつづけることによって、
  業の波の消えてゆくのが早く、容易になされてゆくのであります。
   ≪ 中略 ≫
  人々はまだ祈りの効果について、あまりよく知ってはいないのですが、
  人類すべてが、真実世界平和の祈りのような、
  光明波動のひびきの中に入っていれば、その姿そのものが、
  人類の完成された姿となるのでありますから、一人でも早く、
  一人でも多くの人々が、世界平和の祈りをすることによって、
  この人類世界は、ひどい災害を受けずに、
  神の姿を現すことができるようになるのであります。
   ≪ 中略 ≫
  すべての不幸災難は、過去世からのその人々、その社会国家の歴史の中に
  ひそんでいたものが、現れて消えてゆく姿なのですから、
  それを止めることはできません。
  止めるのではなく、その人や、その国家や、人類全体が、負担少なく、
  上手にその業因縁を消滅させてゆくことが大事なのです。
  そのために、多くの人々の愛の心が役立つのです。
  そしてその愛の心が最上に役立つのが、世界平和の祈りなのであります。 」
                            ( 「 続宗教問答 」 253、254ページより )

今、一人静かに、守護霊守護神様の光の中に顔をうずめ、
〝 日本中の人々が、そして世界中の人々が、みーんな、
  世界平和の祈りを祈れるようになったら、どんなにいいでしょうね 〟
と語りかけました。  すると守護霊守護神様は、

【 一番効果のある伝導の方法を教えてあげましょう、
それは、あなた自身が、感謝、全託のみに徹して、
〝 消えてゆく姿で世界平和の祈り 〟を限りなく深めてゆくことですよ 】

と、おっしゃったように感じました。
自分自身が、五井先生の教えをどこまでも深めてゆくことが、
最も確実な、伝導のあり方なのですね。

皆様、今回ご紹介したお話の中で五井先生がおっしゃっているように、
まず私達が先達となって、世界平和の祈りを、
世界中にふりまいてゆこうではありませんか。


 
最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和



全て消えてゆく姿として、祈りの中に入れてしまいましょう

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 悠々とした生き方 」
    170ページから171ページ9行目まで >

『  ふつうの宗教ですと、
 お前がこう思うから、
こういう行ないをしたから、
こういう運命が現われたんだ、
お前が悪いんだ、
と言います。

≪ 中略 ≫

あらゆることに把われてはいけないということも、
実際その通りです。

しかし把われてしまう。

そういう人間の弱点がありますね。

それは習慣の想いなんです。

習慣の想いというのは、
過去においてズーッと録音されていたもので、
録音機が動いていれば、
自分が今思おうと思うまいと、
どんどん録音されたものが出てくるわけです。

出て来たのを聞いて、
ああしまった、
あんなヘンなことをやっちゃった、
あんなまずいことをいっちゃった、
といったって、
テープはまわっているのだから、
どんどん出て来ます。

出て来たものに文句をいっても、
仕方がありません。

今度録音する時に、
いいことを録音しなければいけません。

今、自分の運命が悪ければ悪いほど、
いい運命になるような想いを持たなければいけない。

暗い想いの人には、
暗い運命が出てくる。

悲しい運命というのは、
悲しい想いばっかりを過去世から持っているから、出てくる。

過去世で人をやっつけたから、
今度は人にやっつけられる。

自分の想いや行為が自分に還ってくるのです。

そうしたら、
暗い想いの人は、
明るい想いを出せばいい。

短気の人は、
のんびりすればいい。

妬み深い人は、
妬みのないようにすればいい。

ですけれど、
なかなかそうなれない。

想いがグルグルまわっていますからね。

そこで神様が、
ああそういうことはできないだろう、
自分じゃ出来ないだろう、
だから、お祈りを通して、
観を転換しなさい、
と消えてゆく姿という教えを出されたのです。 』


< 五井昌久著 「 悠々とした生き方 」
   25ページ11行目から26ページ3行目まで >

『  ここに、病気のように現われている姿も、
 不幸のように現われている姿も、
貧乏のように現われている姿も、

自分が過去世からつかんでいた想いが、
現われてきているのだから、

病気に現われてきたら、
ああ消えてゆく姿だと思いなさい。

不幸に現われてきたら、
消えてゆく姿だと思いなさい。

現われてきたら、
みな消えてゆく姿だと思いなさい。

 ― こればかり私は言うわけです。

それで、
その消えてゆく姿と思った想いを神様の中に入れるのです。 』


< 五井昌久著 「 悠々とした生き方 」
      29ページ5行目から31ページまで >

『  病気が現われた
 ― ああこれは過去世の因縁の消えてゆく姿、

貧乏になった 
― ああこれは過去世の因縁の消えてゆく姿、

嫌な想いが出た、
これも過去世の因縁の消えてゆく姿。

というように、
すべて、過去世の因縁の消えてゆく姿として、
守護霊、守護神への感謝とともに、
世界平和の祈りの中に入れてしまうよう、
皆さんに説いているわけです。

こうしますと、どんどん変わります。

同じ病気をしたって、
病気を恐れないし、
把われません。

また、人に悪いことをされても、
ちょっとは嫌な気がしますけれども、
「 ああこれは消えてゆく姿だ、過去世の何かの因縁が和合して消えてゆくのだ 」と、
スーッとあきらめられます。

流せます。

ということは、
把われがなくなってくるということです。

把われがなくなると、
生命が自由になる。

これが宗教の極意なのです。

≪ 中略 ≫

しかし、把われをなかなか放すことは出来ないから、
その把われを持ったままでいいから、
世界平和の祈りの中に入りなさい、
そうすれば、みんな解脱して、
きれいな明るい人間になりますよ、
ということです。 』


< 五井昌久著 「 悠々とした生き方 」
      176ページ2行目から11行目まで >

『  この人類愛的、大乗的な祈りの言葉の中に、
 罪悪深重の凡夫の自分のすべてを入れちゃうのです。

念仏のように、
駄目な自分も、
駄目なあなたも、
駄目なあいつも、
駄目な国も、
駄目な地球も、
全部、世界人類が平和でありますように、
の祈り言の中に入れてしまう。

毎日毎日、瞬々刻々に入れてゆく。

そうすると、世界平和の祈りというのは、
救世の大光明といって、
神々が集って大光明波動になって、
人類の業を消そうと思って、
一生懸命光を送っている所ですから、
その大光明の中に人類の業がどんどん入ってゆく。

肉体の人間には消せないものが、
その大光明の中でどんどん消してくださるわけです。

自分の業と一緒に、
親類縁者の業も、
世界人類の業も持って、
世界人類が平和でありますように、
といって各自が昇ってゆくわけです。

そういう人が多くなればなるほど、
地球の業はどんどん減ってゆくわけです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回のお話の中に、
「 すべて、過去世の因縁の消えてゆく姿として、
  守護霊守護神への感謝と共に、世界平和の祈りの中に入れてしまうよう、
  皆さんに説いているわけです。
  こうしますと、どんどん変わります。
  同じ病気をしたって、病気を恐れないし、把われません 」
という所がありますが、
五井先生は、あるご著書の中で次のような文章を書いて下さっています。

「 人間というものは、不幸と思う想念がなければその人は不幸ではないので、
  その人その人の想念が、不幸だとか不満だとか思っているだけなのであります。
  ですから、同じ条件下においても、悟った人には不幸ではなく、
  凡夫には不幸に感ぜられるのであります。
  そのように想念のもってゆきどころによって、不幸も不幸でなくなるのですから、
  その不幸や不満を感ずる想念を、常に世界平和の祈りのような、
  大乗的な、深い、広い意味をもつ祈りの中に投入していれば、
  その人は、その時間は、不幸が薄らいでいるとともに、知らぬ間に、
  神様の大光明が、その人の心の中に差しこんできていて、
  その人の潜在意識にたまっている、業想念(カルマ)を浄め去ってゆくのです。
  そうしますと、その人の想念も環境も、いつの間にか、
  善い方向に改まってゆくのであります。
  人間は、いつでも光の中に住んでいることが大事なのです 」
                                ( 「 宗教と平和 」 52ページより )

〝 守護霊守護神という大慈愛の光の中に住んでいる 〟
そう思うようになってから、確かに把われが少なくなってきました。
【 把われたらなら把われたまま、祈りの中に入りなさい 】
というのが五井先生の教えですので、把われが多く、
しかもその把われをなかなか放せなかった私にとっては、
まさに救いの道でした。

〝 不幸な想いに把われて苦しんでいる人達にこの教えを伝えてあげたい …… 〟
そんなことをよく思うのですが、
今回のお話の最後の方で、五井先生はこのようにお話し下さっています。

「 この人類愛的、大乗的な祈りの言葉の中に、全てを入れちゃうのです。
  駄目な自分も、駄目なあなたも、駄目な国も、駄目な地球も、全部、
  世界人類が平和でありますように、の祈り言の中に入れてしまう、
  毎日毎日、瞬々刻々に入れてゆく。そうすると、
  世界平和の祈りというのは、救世の大光明といって、
  神々が集まって大光明波動になって人類の業を消そうと思って、
  一生懸命光を送っている所ですから、
  その大光明の中に人類の業がどんどん入ってゆく、
  その大光明の中でどんどん消して下さるわけです 」

私は、ニュース等で色々と報道されている事を見聞きする時も、
世界平和の祈りを唱えることを忘れないよう心掛けています。
そして、救世の大光明が …… 想像もつかない、もの凄い大光明が、
私の業と一緒に、日本中の人々の業を、世界中の人々の業を、
どんどん消して下さっているのだと、確信しております。



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞ私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

この世の生活も、あの世の生活も大安心

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 続宗教問答 」
   150ページ2行目から154ページ4行目まで >

『   問  誕生と共に往生は祝事であると、お説きになっていますが、
       普通の人はそう考えません。
       どうして往生が祝事であるかご説明下さい。


往生とは読んで字の如く、
生れて往(ゆ)くということであり、
生命があの世に往くことであります。

普通の人は、
肉体の働きが停止してしまうと、
人間の生命が滅びてしまった、
無くなってしまったといい、
それを死と名づけて恐れおののくわけでありますが、

私たちのように神霊的知識や体験をもっているものは、
肉体の働きが停止したことを、
人間の消滅とはいわないのです。

どうしてそういわないかと申しますと、
肉体の運動が止まったことと、
生命が滅びてしまうということとは、
全く異なるからであります。

と申すことは、
肉体の死というものは、
単に人間の本質である生命が、
肉体内で働かなくなったことであり、

生命そのもの、
人間そのものが滅びてしまったことではなく、

肉眼では見えぬ波動の世界で、
ひきつづき働きつづけ、
生きつづけている事実を知っているからです。

人間とは、いつも申しますように、
神の光、
大生命の分けられたものであって、

神界という自由自在に波動を変え得る世界にも住み、
霊界という微妙な波動の世界にも働き、
幽界という波動の世界、
肉体という粗い波動の世界で働いていることもあるのです。

しかし、普通の人間、
いわゆる肉体人間は、
人間の中で一番粗い雑な世界である、
肉体界だけしか知らず、

その他の世界に人間が住んでいるということなどは、
わからないでいるのであります。

こうした真理がわからない限りは、
肉体の死に対する恐怖が、
なかなか去ろうとはしないでありましょう。

また、あの世の生活が自己にとって幸せになり得るものか、ということ、
幸福な境界になり得る方法を知っておかなくては、
これも死の恐怖を超え得ることはできないのです。

≪ 中略 ≫

ある霊魂が、
赤児として誕生することは、
自己の修業のためであると共に、
人類の進化の一つの役割りを受け持たされてなされるので、

いかなる悪事を為すものも、
不幸なる生涯を送るものでも、
それはみな、自己の進化の過程であると同時に、
人類進化のための一こまであるのです。

それは神界と肉体界を真直ぐつなぐためのトンネル掘りのようなもので、
掘りあがるまでは、
皆が泥だらけになって働くわけで、

自分の持場が終って、
体を洗い、すっかりきれいな姿になった人と、

まだ持場についたばかりで、
真暗な中で夢中でシャベルを使っている人との相違があるだけで、

掘りあがれば、
神界の光明がそのままそのトンネルを通して、
この地上界に輝きわたり、
肉体界そのままが神の国になるわけなのです。

ですから、
現在泥だらけの真黒な心の人であっても、
やがてはきれいに磨かれた光明体になるのですが、

そのためには、
あの世とこの世の生れ変りを何度びかつづけて、
種々な体験を積み重ねて、
遂には、そのトンネル掘りの監督となり、
指導者となってゆくのであります。

こう考えてまいりますと、
誕生も自己の本質である神の子を現わすための出発であり、

往生もあの世における体験を積み重ね、
自己の本心を開顕するための出発であるのですから、
誕生も往生も共に祝事であるのです。

この理をはっきりわかっております神道では、
亡くなった人が男なら彦(ひこ)とか命(みこと)とか名づけ、
女性なら姫と名づけています。

そしてお祭りするわけでして、
決してお悔みではないのです。

彦とか命とか、
姫とかいう名は、
人間本来の神性を現わした名で、

彦は、霊(ひ)(日)の子であり、
命(みこと)は、
み言、コトバは神なりきの言であり、
姫は霊(ひ)(日)女であり、
霊の女であります。

このように本来の神性を現わすためのものとして、
肉体の死をかえってお祭りとして祝ったのであります。

≪ 中略 ≫

往生の道を、より効果あらしめるためには、
往生する前のこの世の生活において、
神のみ心である、
愛と真の生活を行じてゆくことが第一であると思うのですが、

なかなかこの世の生活では、
愛と真の生活が行じにくい。

そこで私は、世界平和の祈りという、
愛と真を行じやすくする祈りを皆さんに伝えているのです。

この世界平和の祈りは、
いつも申しておりますように、
救世の大光明神霊団の働きが、
そのまま現わされている祈りなので、

この祈りを祈る人々は、
その人のこの世の生活の善悪を問わず、
救世の大光明の光が、
その人の霊体を通り、
幽体を通り、
肉体身に影響してまいりまして、

その人の生活が明るくなり、
その人の想念行為が愛と真の方向に進むようになり、
その人の周囲の人々にも、
その人の光が伝わってゆくようになるのであります。

善き往生を願われる人は、
日常生活そのままでよいのですから、
すべての想念を世界平和の祈りの中に投げ入れて、

世界平和の祈りを根底にしての
想念行為の生活を行じられるようにして下さい。
これ程やさしい悟りへの道は他にないのです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回の文章の中に、
「 こうした真理がわからない限りは、肉体の死に対する恐怖が
  なかなか去ろうとはしないでありましょう。
  また、あの世の生活が自己にとって幸せになり得るものか、ということ、
  幸福な境界になり得る方法を知っておかなくては、
  これも死の恐怖を超え得ることはできないのです 」
とありますが、
五井先生は、次のような文章も書いて下さっていますので、ご紹介します。

「 神仏を、もっとも自分の身近に、心の近くに置いておく宗教の道が、
  一番死の恐怖を超え得る方法なのです。
  それが、守護霊守護神と、たゆみない交流の下に行われる祈りである、
  世界平和の祈りの教えなのであります。
  自分の祖先の悟った人が、この世でもあの世でも自分を守りつづけてくれる、
  その上、その祖先よりも、もっと強力な神そのもの、
  生死の鍵を握っている守護神が、守りつづけていてくれる、
  という真理を知らせるのが私たちの宗教なのです。
  この事実を信じさえすれば、この世の生活もあの世の生活も
  自然と不安でなくなってくるのです。
  死の恐怖を超えた時の人間ほど、偉大になることはありません。
  死の恐怖を超え得る最大の易行の道は、
  守護の神霊の加護を信じ、守護の神霊に感謝しつづけながら
  日常生活を営んでゆくことなのです 」
                             ( 「 続宗教問答 」 75、76ページより )

守護の神霊の加護を信じ、守護の神霊に感謝しつづけながら
日常生活を営んでゆくと、心が次第に安心してくることは確かです。
人一倍不安感が強かった私には、そのことが実にはっきりと分かります。
表面の方に消えてゆく姿の想いが色々と出てきても、
心の奥の方で、
〝 たとえ何があっても、あの世へ行っても、守護霊守護神様がいるから大丈夫、
   守護霊守護神様がピタッとくっついて守って下さっているから大丈夫 〟
と思えるのです。

また、家族や友人などのことが心配になった時、
あるいは、既にあの世へ行ってしまった人のことを思い出した時も、
その人の守護霊守護神様をお呼びして感謝し、
「 〇〇さんの守護霊様守護神様ありがとうございます
  どうか〇〇さんの天命が完うされますように
  ○○さんのことを、よろしきようにお願い致します
  世界人類が平和でありますように ― 」
というようにお祈りしています。
常に世界平和の祈りを祈っていれば、いちいち名前をあげなくても、
この世の人々、あの世の人々 …… あらゆる人々の所へ、
大光明が流れて行っていることは間違いないのですが、
誰かのことが気になった時には、そのようにお祈りすると、
〝 ○○さんの守護霊守護神様が、○○さんのことを守り導いて下さっているから、
   ○○さんは絶対に大丈夫  〟
と、より一層心の中が安心してくるのです。

皆様、この道は本当に、〝 大安心の道 〟ですね。

「 五井先生大、大、大安心の道を開いて下さって、ありがとうございます …… 」



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和




神様は、自分の親ですよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 愛すること 」
  32ページから33ページ8行目まで >

『  神道をはじめ仏教でもキリスト教の光明思想でも、
 老子でも、ヨガでも奥義はみな、
人間は神のものであり、
神の分生命である、
というところへくるのであります。

神道では、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
つまり宇宙神からはじまって、
三神、五神というように、
その働きの名をつけられた神々が生れ出られ、
人間は、そうした神々の末(子)である、といわれ、
男は彦(霊子)、女は姫(霊女)と呼ばれたのであります。

誤ったキリスト教のように、
人間を神の下僕とか、僕(しもべ)というような、
神と離れた召使いのような扱い方はしていないのです。

神はあくまで人間の父親であり、
師でもあったわけです。

一神であって、
しかも多神となり、
人間はみなそれらの神々の子として生きていたのであります。

神は大生命であり、
人間はその分生命であることを、
神道ははっきりしめしているのです。

そして仏教では、
人間各自に内在する仏を説いておりますし、

キリスト教では、内なる神と申し、

老子は無為(むい)に為すと説き、
肉体人間観を捨て切り、
無為にして為した時、
大生命、即ち道がそこに現われ、
自分が道となって大宇宙に生きているのだ、
と説くのでありまして、

いずれも神(仏・道)と人間とを離して考えてはいず、
神と倶(とも)なる人間として、
あるいは内在する仏、
内なる神、
無為の道として、
すべて人間の奥深く、
人間の内に神の存在を説いているのであります。

そのどこにも、
真実の人間を、
罪の子ともサタンの子とも、
説いてはいないのです。

罪の子であり、
サタンの子であり、
凡夫なる人間は、
神の子の本質を離れた、
想念所業が生んだものでありまして、

神の子の光明が現われるにしたがって、
消え去ってゆく迷いの波であり無明であるのです。

ですから、
人間神の子といい、
神の分生命というのは、
人間の肉体をいうのではなく、
生命そのものをいうのであります。

肉体そのものは、
あくまで場であり、器であるのです。

神の子的立場に立つためには、
どうしても、生命そのものの立場に立たねばなりません。 』


< 五井昌久著 「 愛すること 」
   231ページから232ページ5行目まで >

『  肉体人間としての自己を、
 そのままそこに置いておいて、
神との一体化も本心顕現も出来るものではありません。

肉体人間としての自己を何らかの形で、
一度消滅させなければ、
自由自在心になることはできません。

消滅しろといっても、
それは形の上のことではなく、
心の上のことです。

親鸞上人式に、
罪悪深重の凡夫として、
阿弥陀仏の中に投げ入れてしまうのもよいでしょう。

法然のように、
百万べんの念仏として、
念仏一念の中に自己を投入してしまうのもよいでしょう。

只口先で〝人間神の子〟をやっていたところでたいしたことはない、
というのは、
肉体的な自己がいつ迄もそこにいて、
神仏としての自己のいる場所が、
そういう人にはないからであります。

人間神の子完全円満を唱えるなら、
自己が宇宙と一つになる程の気持で、
神の完全円満性の中へ、
自己をぶちこんでしまわねばなりません。

そこには肉体的人間の願いごとなどあるはずはありません。

何故ならば、
その時から、
その人は、
完全円満でなければならぬ筈だからです。

だから私はそんなむずかしいことをいったり想ったりするより、
常に私たちを守って下さっている、
守護神様、守護霊様がいらっしゃるのだから、

常に守護の神霊への感謝をおこたらず、
すべての不幸や災難や、
自分に都合の悪いこと、
自分の間違った想い等々、
真理にそわぬ想いや出来事を、
すべて過去世の因縁の消えてゆく姿として、

世界人類が平和でありますように、という、
人類愛の祈りである、
世界平和の祈りの中に投入してしまう。

その繰り返しの生活をしてゆくことによって、
むずかしい理論も理屈も必要なくなってくるのです。

要は、神のみ心から離れた、
肉体人間という自己をもったままでは、
人間の救われも、悟りもないのですから、

肉体人間の自分としてではなく、
親に対する幼児のように、
無邪気な気持になって、
神のみ心の中に入ってしまうことなのです。 』


< 五井昌久著 「 愛すること 」
   119ページ14行目から120ページ11行目まで >

『  信仰者といわれる人たちでも、
 神が自分の親である、
というようには考えられない人々もあるのですが、

自己の生命そのものでもあり、
生命の根源でもある大生命が神なのですから、
神は人の親であることは間違いありません。

≪ 中略 ≫

そこで、神との親子関係を再認識するためには、
自己が霊の心となり、
霊の心というのは純粋なる生命、
純朴な心になるということでありまして、

そうした心になって、
神を呼びつづけることが大事なのであります。

神の存在を信ずる純粋な想いで、
神を呼びつづけることは、
必ず神に通ずることなのです。

なぜかと申せば、
元来、神と一つの生命によって生きている人間なのですから、

純粋に神への感謝をつづけていれば、
自己の全身全霊で、
神を認識することができるのです。

私は神の認識を容易にするために、
守護の神霊の存在を説き、
そのたゆみなき守護に対する感謝を強調しているのであります。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回の文章の最後の所に、
「 私は神の認識を容易にするために、守護の神霊の存在を説き、
  そのたゆみなき守護に対する感謝を強調しているのであります 」
と書かれていますが、五井先生は常に常に、
守護霊守護神にいつも感謝していることがいかに大切であるか、
という事を教えて下さっています。
私は、五井先生の、守護霊守護神のお話が大好きで、
そういう所をくり返し読んでいます。
ある講話集の中には、次のようなお話が載っていました。

「 守護霊守護神はいつも起きていて、
  夜、肉体人間が寝ている間に浄めているんですよ。
  守護霊の働きの大変なことといったらないですよ。
  肉体の人間はバカですからね、一秒先の事もわからないんですから、
  向こうから見れば幼い幼い子供みたいなものです。
  いうことを聞かないで向こうへ行っちゃう、
 〝 しょうがないな 〟と思ってポンと病気かなんかさせて止めておいて、
  業を出させておいて、正しい方に向けてゆく、
  ということをしている。
  だから病気をしたり貧乏をしたり、いろんな不幸災難にあったりすることは、
  すべて、正しい永遠の生命の法則に乗せるために、
  守護霊守護神がそういう業を消すために出しているわけです。
  そして永遠の生命を得させる、観得(かんとく)させるのです。
  そして初めて、人間が神の子になるんですよ。
  だから、〝 人間神の子、完全円満 〟なんたって、
  実はそうなるためには大変な苦労がいって、大変な消えてゆく姿をやらなきゃ、
  人間神の子完全円満なんかならないんですよ。
  それだから守護霊守護神にすがって、
  〝 守護霊さん守護神さん、いつも守って下さってありがとうございます、
   世界人類が平和でありますように、私どもの天命が完うされますように 〟
  っていう思いで、
  〝 自分が神の子! 〟なんて威張るんじゃないんです。
  謙虚な想いで、
  〝 こんなぼんくらな自分たちを、まともに生かして下さってありがたいなー、
   神様に守られて生きているんだな、ありがたいなー 〟
  〝 世界人類が平和でありますように 〟
  と、感謝の想いで世界平和の祈りをするわけですね 」
                      ( 「 内なる自分を開く 」 84、85ページより 抜粋 )

守護霊守護神は、魂の親、親の親です。
ぼんくらであろうと何であろうと、我が子のことがかわいくてかわいくて、
計り知れない大慈愛の光で、日夜守りに守って下さっています。
そして、愛しの我が子が一日も早く神の子の姿を現せるように、
業を浄め、天命完うの方向へ導いて下さっているのです。
守護霊守護神は、この世に生まれる前から一緒、あの世へ行く時も一緒、
一日24時間、いつもいつもピターッと一緒なのですよ。

そんな守護霊守護神のことを五井先生から教わって、
私はどれほど救われたかわかりません ……
五井先生 …… 無限に深く感謝いたします ……。



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

平和は、神と人間との一体化によって樹立するのですよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 これからの文明文化 」
  179ページ5行目から180ページ13行目まで >

『  口で平和を叫び、
 大調和を演説することは易しい。

しかし、国を挙げて平和の道を歩み、
大調和の行為を示してゆくことは、
実にむずかしいのであります。

国家がそうなることは、
今日では不可能に近いのです。

そこで私は、
まず真の宗教精神の持ち主、
人類愛の所有者達が、
枝葉の問題はひとまず置いて、
ただひたすら、
世界平和の道、
大調和の道に向かって
歩調を揃えて進んでゆくことが必要だと思うのです。

私はそのために、
祈りによる世界平和の運動を展開しているのであります。

後々の細かいことはどうでもよいから、
まず心を一つにして世界平和を創ろう、という、
その念願を祈りにまで高め上げようというのです。

世界平和になればいいな、
戦争は嫌だな、
などと漫然と思っているのではありません。

世界人類が平和でありますように、
という祈り言を日々瞬々唱え続けるのです。

これはいちいち言葉に出すということよりも、
常に常に心に思い続けるのです。

歩いていても、
寝床の中でも、
仕事の合間でも、
思いついたらすぐ祈るのです。

そのくらいの熱意がなければ、
この世界を滅亡から救いとることはできません。

人間の想念は常に世界隈なく巡り続けるものなのです。

想いの波が世界の運命を創るのです。

多くの人々が真に心を一つにして世界平和を祈ることは、
この地球世界の汚れをどれだけ浄めるか判りません。

この祈りは個人我の祈りではありません。
人類愛の祈りです。

神の光明がその人の体を通して、
世界中に流れてゆくことは当然なことです。

人間は小宇宙といわれているもので、
大宇宙の法則通り動いていれば、
小宇宙としての自己完成はなされるのです。

大宇宙の法則は大調和です。

ですから、
人間が世界平和を祈ることは、
大宇宙心(神のみ心)と全く一つになることなのです。 』


< 五井昌久著 「 これからの文明文化 」
  198ページ7行目から199ページ2行目まで >

『  肉体人間だけの知恵能力では、
 もうどんなやり方をしても、
米ソの間を平和にすることも、
アラブ、イスラエルの根本平和を樹立することもできません。

まして天変地変を防ぐことなど、
とてもできません。

それを何となくごまかして、
大国の責任だけに押しつけて、
自分達は平和の根本を探求しようともしないで、
ただいらいらしているだけの人々が多いのです。

肉体人間の無力さかげんを、
徹底して知ったところから、
真実の神我一体の平和運動が始まるのでありまして、

神の助太刀を受けずに自分達だけで、
何とかできはしないかなどという、
思い上がった考えを根本から捨て切らなくては、
その人達の力は生きてこないのです。 』


< 五井昌久著 「 これからの文明文化 」
       192ページ7行目から13行目まで >

『  人間が肉体人間だとしている世界観では、
  どんなに真剣に精進努力して社会人類のために働こうとしても、
 根本的に成り立っていませんので、
人類のための大きなプラスにはなってゆかないのです。

宗教の道を歩みながらも、
神と自己とを引き離して、
神は神、人間は人間として、
自分達の力でこの地球世界を善くしてゆこうと努力している人が多いのですが、

過去世からの因縁の業の波で蔽われているこの地球世界を、
そういう波を超越せずに、
その波の中でいくら働いても、
そうした波を浄め去ることはできないのです。 』


< 五井昌久著 「 これからの文明文化 」
   200ページ7行目から202ページ2行目まで >

『  真の宗教の道はあくまでも、
  神と一体化の道で、
 神のみ心をそのままこの地球界に現わすことにあるのです。

そしてその一つの方法が祈りなのであります。

≪ 中略 ≫

私どものやっております世界平和の祈りは、
祈りによって世界平和への道を開くことで、
この祈り心が科学の道として現われたり、
政治や事業として現われたりするので、
自分が日常行為として何もしないで、
ただ神様神様と言っているのではないのです。

≪ 中略 ≫

この地球でもやがて神の分生命の能力を充分に出しきって、
神の国をつくり上げてゆくのですが、

これは今日までの人々が思っているように、
神様を遠く離して、
自分達の力だけで成し遂げられることではなく、

神と人間との一体化によって、
成し遂げられることなのであります。

ですから、
人間が生活してゆきますのに、
個人は勿論、
国家も、人類もすべて守護の神霊の応援がなくては、
とても完全な生き方はできないので、

古来からの聖者達が、
神の愛を説き、
神との一体化を説いてきたのです。

そして、守護の神霊の協力の下に、
肉体人間が単なる人間ではなく、
真人として、
この地球に神の世界をつくり上げてゆくことになるのです。

今はもはや一刻も猶予のならぬ時機になってきています。 』



< 感謝の言葉 > 

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回の文章の中にも書かれていますように、
「 神は神、人間は人間、という風に、神と自己とを引き離してはだめなのだ、
  神(守護霊守護神)と一体になって、地球世界を平和にするのだ 」
という意味のことを、五井先生はいつもおっしゃっています。
ある講話集の中でも、そのようなお話をして下さっていますので、
抜粋して引用させて頂きます。

「 守護霊守護神の方は、神様のみ心のままに人間を動かそうと思っている。
  ところが肉体の方は、普通はそれを知らない。
  皆さんは知っているけれど。
  知らないから、肉体の自分だけの考えで進んでゆくわけ。
  すべて地球世界の各国というものは、
  肉体人間としてだけで動いているわけですよ。
  神様!と言ったって、キリスト教を誤って考えている牧師さんや神父さん達は、
 〝 天にまします我らの神よ 〟ですよ、大概。
 〝 わが内にまします神 〟とイエスは教えているのだけれど、
  そうはなかなか言わない。
  天にまします、というと、どうしても天というのは向こうになるからね、
  直接、自分たちの知恵になり、力になって、
  この中に神様がある、神の子である自分が動いている、
  という感じにはなかなかならないのですよ。
  神様は神様、神様に加護してもらって、うまく無事にゆきますように、
  とは思うけれども、自分はやっぱり業生(ごうしょう)の人間なのだ。
  業生の人間が政治を執り、業生の人間が事業をし、
  業生の人間が話し合うわけですよ。
  向こうも業でしょう、業と業とがぶつかってゆくわけです。
  業と業とが話し合っているのだから、絶対に平和にならないのですよ。
  相対的で、お互いの利害関係だからね。
  そうすると、お互いの利害関係を超えたものがなければ、
  世界は平和になりっこないでしょう。
  大体、平和というものは根本は心だから、皆の心が、
  相対的な心 ― 【 自分は肉体人間なのて゛神様とは別なのだ 】
  という考え方がなくなることが根本的に大事なんです。
  なくなってしまえば、人類は兄弟姉妹なんだな、ということで、
  業生は業生としながらも、神様に任せるような形になりますわね。
  そこで私達は、救世の大光明という、光明力によって、
  あらゆる人々の業想念というものを、消し去ろうとしているわけです。
  それが世界平和の祈りなのです。
  世界平和の祈りというのは、自分達が救われると同時に、
  世界人類を救う、大切な大切な祈りなんです 」
        ( 「 想いが世界を創っている 」 155ページから161ページまで より抜粋 )

大切な大切な祈り …… そして、ありがたい ありがたい祈りです。
本当に、ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい ……
何度言っても言いきれぬほど、ありがたい祈りです。
世界平和の祈りを始めて一年、二年、三年、四年、五年 ……
と年数を重ねるごとに、その実感が増してきています。
この祈りをお祈りさせて下さっている守護の神霊に向かって、
「 守護霊様守護神様ありがとうございます …… ありがとうございます …… 」
それのみでございます …… それしか他にございません。



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和
プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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