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大光明が、業想念をどんどん消して下さいます

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 質問ありませんか? 2 」
          46ページから47ページ4行目まで >

『   皆さん方一人一人の世界平和の祈りは、
  大きな大きなひびきをもって、世界中に広がるわけなのです。

ですから皆さん一人一人が大変な役目を持っている、
ということは確かなことなのです。

そのように、世界平和の祈りというものは、
世界人類のためにやるのだけれども、
それは取りも直さず、自分のためにもなるのです。

自分の中には、病気だとか不安だとか、臆病な想いだとか、
妬みの想いだとか、恨みの想いだとか、
そういういろんな業想念があります。

それが世界平和の祈りを祈ると、
世界平和の祈りが持っている大光明の中で消されてゆくわけです。

消えてゆく姿のものはどこへゆくかというと、
救世の大光明の中へ消されてゆくのです。

業想念が消えてゆくと、何が起こるかというと、
人間は本来神の分け生命でしょ。
神の生命そのものですね。
だから本来の神の生命がそのまま生きてくる。

年中、神の叡智や能力が入って来ているんですよ。
それを人間は業想念でふたをしてしまって、
拒絶しているわけなんです。
それで頭の中に溜まっている蓄電池の想いでもって、
ああじゃない、こうじゃない、とやっているんです。

それを常に直通する、天地を貫く生命の波にすればいいわけです。
そのために、ああじゃない、こうじゃないという想いをなくす。

それが「 空(くう)になれ 」というお釈迦様の教えだったり、
「 無為(むい)にしてなせ 」という老子(ろうし)の教えだったりするわけです。
だからこの業想念を取っちゃうんです。 』


< 五井昌久著 「 質問ありませんか? 2 」
          95ページ2行目から97ページまで >

『   丈夫になるだろうかとか、貧乏がどうだろうとか、
  何だかんだという余計な心配する想いが、
神様の生命がスーッと流れてくるのを邪魔しているんです。

邪魔しちゃって邪魔しちゃって、
「 もうしようがない奴だな、余計なこと思いやがって、思わなければやってやるのに 」と、
神様のほうで思っている。
守護霊、守護神のほうで思っている。
だから想いというものは邪魔なわけですよ。

そこでまた繰り返すけれども、
お釈迦様は空になれ、空になれ、って坐禅させたんだし、
老子様は無為だ、無為だ、無為にして為(な)せ、ってやっているわけです。

だけど空になれ、と言ってもなかなか空になれないし、
無為になれ、と言っても無為になれないから、
私はみんな現われてくるものは消えてゆく姿ですよ、と言っているわけです。

消えてゆく姿なんだから、それに把われることはない。
しかし把われたら把われたでいいから、
把われた想いを、もっと大きな高い所に、神様の中に入れてしまいなさい。

ただ神様、神様と言っても神様は見えない。
どこにいるか分からない。
神様どこです? 私の想いをとってください、じゃ分からない。

そこで〝 世界人類が平和でありますように 〟という神様のみ心ですね、
神様のいわゆる理念といいますか、
神様のみ心の中の世界人類が平和である、という所へこちらが
「 世界人類が平和でありますように 」って持っていって入れてしまいなさい、
というわけですね。

どんなことが出てきても入れてしまいなさい。
貧乏が出てこようと、病気が出てこようと、短気が出てこようと、妬みが出てこようと、
そういうものは、みんな
「 世界人類が平和でありますように、
  日本が平和でありますように、
  私どもの天命が完うされますように 」って、
そこへ入れてしまいなさい、と言っているわけです。

楽なもんですよ。
入れてしまうと、邪魔する想いが、その目的の中へ入ってしまうでしょ。

世界平和の祈りというのは、大光明、神様のみ心だから大光明です。
だから想いをどんどんどんどん消してくれるわけですよ。
ゴミを持って行って、捨てればいいでしょ。
そうすると空(から)になるでしょ。

それと同じで、神様は、もうパーッと燃え上がっている溶鉱炉だと思えばいい。
鉄でもなんでも溶かしちゃう。
そういう溶鉱炉だと思えばいいですよ。
その中に、世界人類が平和でありますように、って入れれば、
溶鉱炉がいっぱいに燃え上がっているんだから、
その中にどんなゴミでも、どんなものでも投げ込めば、
みんなパーッと燃えて光になっちゃう。

そういうふうに思えばいいです。本当にそうなんだから。
だから、どんな悩みがあろうと、貧乏があろうと、病気があろうと、
自分がいけないと思う心があっても、あいつは嫌な奴だと思う心があっても、
そんなものはみんな世界平和の祈りの中へ入れてしまいなさい。

世界平和の祈りの大光明が、溶鉱炉がみんな焼き尽くしてきれいにしてくれる、
光一元にしてくれる。
そうすると、それがまたこっちへ流れてきて、こっちは光り輝く人間になるんだから。

邪魔な想いをそこに捨てなさい。
〝 消えてゆく姿で世界平和の祈り 〟
と一生懸命、私が汗流して説いているわけです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

私は、何か悪い事が現れて来てあれこれ悩んだり、
不安、心配、苦しい想い等、業想念が一杯出て来る時は、
今回ご紹介したような五井先生のお話や、他にも、
これまで「 ぶりらんて 」に書かせて頂いた五井先生のお話の中から、
大事な所を何度も何度も繰り返し読むようにしています。
特に、守護霊守護神のお話は大好きです。
ある講話集の中では、次のようなお話をして下さっています。

「 皆さんのように、守護霊守護神を呼んで世界平和の祈りをいつもして、
  守護霊さん守護神さんありがとうございます、と思っていますと、
  想いは守護霊守護神にピッタリつながっていますから、
  いつでも守っていますから。
  守護霊に守られているんだから、
  守護霊に感謝しながら現れてくる病気とか不幸とかは、
  それは、本心を早く顕し、真実の人間に早くするための、
  病気であり、不幸であり、貧乏なんですよ。
  〝 これによって業が消えてゆくんだな、これによって益々私はよくなるんだな、
  守護霊さん守護神さんありがとうございます 〟
  というように感謝するんです。
  そうすると傷が少なくて早く済むのですよ、と私が言っているわけです。
  私は断言します。
  守護霊守護神はピッタリくっついています。≪ 中略 ≫
  だから、自分の前に現れてくるどんな病気も不幸も苦難も、
  〝 これはみんな、過去世の消えてゆく姿で、
  今、本心を、守護神さんがどんどん現してくれているんだ、
  ありがとうございます 〟
  と、素直に思っていることが大事なんです。
  皆さんは本当に幸せだと思う。
  みんな守られていることがわかっている。
  ところが唯物論者、無神論者の人は、守られていることは
  全然知らないんですよ、自分だけで生きていると思っている。
  だから困るのです、調子のいい時はいいですよ、
  調子の悪い時はどうしていいかわからなくなる。
  守られていることがわからないんだから。
  それはとんでもないこと、自分一人で何が出来るか、
  いつだって守護霊守護神がやっていてくれるんです。
  それがわかっていることが、一番大事なことです。
  世界平和の祈りと共に、いつも守護の神霊に感謝すること。
  これを欠かさずやらなければいけない 」
                   ( 「 空即是色 」 32ページから35ページまで より抜粋 )

私は今、守護霊守護神様に向かってこう申し上げました。
〝 これからはもっともっと、五井先生のお話、文章をよく読んで、
  五井先生のおっしゃる通りに、一生懸命行じてまいりますので、
  守護霊様守護神様、どうか全ての全てをみ心のままにお願い致します 〟

守護霊守護神様はやさしくうなずきながら、その大慈愛の光で、
より一層しっかりと包み込んで下さっているように感じました。



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

何があろうと、神様の愛を見出せるようになりますよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 私に荷物を預けなさい 」
        56ページから57ページ10行目まで >

『   宗教信仰の極意というのは、
  いかなる災いに見えるようなことがあっても、
その中から神様の愛を見出せる、ということです。

これは一番大切なことなのです。
願い事が叶ったり、
何かが自分の思った通りになったりすることだけで、感謝をしていると、
思う通りにならなかった、という反対現象が出たりすると、
なんだこんなに俺は祈っているのに神がなんだ、
というように神様に対して反抗するような形になりがちです。

そうなっている人が多いです。
そういうのは信仰でもなんでもなくて、ご都合主義というものです。

本当の宗教信仰というものは、
鬼が出ようと蛇(じゃ)が出ようと、何が出ようと、それはそのまま有難いんだ、
自分のいのちが肉体から消えようと、
ああこれで有難いんだと思えるようになるのが、極意なんです。

けれどもそこまでゆくのは、なかなか大変なのです。
そこで一番いい信仰の方法というのは、
私が説いているように、

悪いことが出て来ても、どんな苦しみが出て来ても、
どんな病気が出て来ても、どんな貧乏が出て来ても、
みんなそれは過去世の因縁が消えてゆく姿であって、
消えてゆくに従って、
自分の本当の姿、神の子の姿が現われてくるんだ、有難いんだ、
となると気張らず気負わず、楽に本当の信仰になってゆくのです。 』


< 五井昌久著 「 私に荷物を預けなさい 」
    69ページ10行目から70ページ6行目まで >

『   私の教えというものは、細かい、くどくどしいことは一つも言わない。
  消えてゆく姿一本にしぼってしまったのです。

消えてゆく姿の背後として何があるかというと、
あなた方の本心は完全円満なんだよ、ただ過去世からの業が覆っているんだ。
それを消してくれて救ってくれるのは誰かというと、守護神守護霊なんだ。

だから守護霊さん守護神さんありがとうございます、と感謝を続けていれば、
守護霊守護神の光とつながって、業がたやすく消えてゆくんだ、
他のことを思う必要がないんだ、
守護霊守護神を通して神様の中へ入ってしまえば、
あとのことはどんなことが出て来ようと、みんな消えてゆく姿なんだから、
あなたは必ず良くなるに決まっている ― ということです。 』


< 五井昌久著 「 私に荷物を預けなさい 」
    175ページ3行目から177ページ7行目まで >

『   掴んではいけない、だめだ、と教える宗教はあるんだけれども、
  どこへ放していいか教えてくれない。

貧乏は掴んじゃだめ、病気を掴んじゃだめ、というんだけれども、
サァどこへ持っていっていいかわからない、もってゆく所がない。

神様の中へ入れて、といっても神様がどこにいるかわからないから、持っていけないんです。
また持っていった気がしない。

私はそこで、神様といってもわからないのかもしれないけれど、
神様のみ心ならわかる。
神様のみ心は世界平和の祈りだから。

貧乏は世界平和の祈りの中へ持っていってしまいなさい。
病気は世界平和の祈りの中へ持っていっちゃいなさい。
迷いも世界平和の祈りの中へ持っていっちゃいなさい。
≪ 中略 ≫

何か言いたいことは、世界平和の祈りの中へ入れちゃうんですよ。
あのヤロウ憎らしい、世界人類が ……
くちゃくちゃ、もんもんもんもん、世界人類が …… そうやる。

世界平和の祈りの中へ入れると一番早く消えます。
世界人類が平和でありますように、という時には、
その想いが世界平和の光明の中に入っているんだから、
貧乏も不平もみんな光の中に入ってしまう。

それを続けて続けてやっているうちに、
いつの間にか心があかあかと明るくなってくるんです。
これは間違いのないことです。
心の中でゴタゴタ思う想いを、みんな世界平和の祈りの中に入れちゃう。 』


< 五井昌久著 「 私に荷物を預けなさい 」
   81ページ5行目から83ページ3行目まで より抜粋 >

『   消えてゆくには守護霊守護神にまかせて消してもらうのだ、ということでしょう。
  消えてゆく消えてゆくとやっていると、自分の本心が出て来て、
相当立派な人になるわけですよ。

それをやさしく簡単な言葉で、消えてゆく姿なんですよ、
守護霊守護神に感謝しなさいと言っているのです。
こういう簡単な教えというのはありませんよ。
どこの教えどの宗教よりもうんとやさしいです。

むずかしい教えでは空(くう)になれというのがあります。
空にならなければ人間の本体がわからない、
空にならなければ仏様が現われない、というけれど、空になれませんね。
菩薩(ぼさつ)級の素質のある人はなれますけれども、
普通の人は空にはなれません。

けれど、消えてゆく姿を真剣にやっていると、
いつの間にか業はみんな消えるでしょう。
そうすると神様と一つになってしまう。
自分の直霊分霊と一つになる、守護霊守護神と一つになる。
そうすると空ともなんとも言わなくても、ちゃんと本心が現われてくる。

私がこうやって話すのも、何を話そう、と考えていないのですよ。
誰が話をするかというと、直霊の五井昌久が話をする、神様が話している。
神様でなくちゃ、こんないい話は出来やしませんよね。
人間の創り話では出来ないです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回のお話の最初の所に、
「 宗教信仰の極意というのは、いかなる災いに見えるような事があっても、
  その中から神様の愛を見出せる、ということです 」
とありますが、
五井先生の教えを、日常生活の中で真剣に行じていらっしゃる方々は、
たとえ悪い事が現れている時でも、その中から守護霊守護神の愛を見出し、
より一層信仰心が深まっていっておられるのではないでしょうか。
辛い事があっても、それは過去世の業の消えてゆく姿であって、
守護霊守護神、救世の神々が、痛みを最小限にして消して下さり、
消えてゆくに従って、本心、神の子の姿が現れてくるんだ、
というふうに思える、ということは、最高に幸せなことですね。
ここで、他からも五井先生のお話と文章を引用させて頂きます。

「 過去世からの業想念行為が、運命となって現れて、
  病気になったり、不幸になったりするわけです。
  病気になって現れた、嫌な想いになって現れた、不幸になって現れた時に、
  〝 ああ、これは消えてゆく姿なんだな、
  世界人類が平和でありますように、みんなが平和でありますように 〟
  という想いで祈りますと、その悪いことが祈りの中で消えてゆくのです。
  消して下さるのは救世の大光明、神々なのです。
  そうして消えてゆくに従って 〝 世界人類が平和でありますように 〟
  という愛の気持ち、愛の光明波動が、そのまま自分の中に残るわけです。
  自分の、今まであった悪いものは消えて、
  新しく大光明のプラス面が入って来て、記録されてゆくわけです。
  それを繰り返し繰り返しやっていれば、
  いつの間にか、過去世の悪いものはなくなって、
  世界平和の祈りの愛の気持ち、大光明のひびきが、
  自分の心を一杯にしてゆくわけです 」
                      ( 「 質問ありませんか? 2 」 47、48ページより )

「 煩悩(ぼんのう)即菩提(ぼだい)、災即福、というように、
  自己の心にそまぬ事や不利の事が自己の身辺に出てきたり、
  自己の想念が自分自身を苦しめたりする場合、それは、
  過去世からの神仏を離れた自分の想念行為が、
  今現れて消えてゆく姿で、そうした姿が現れたことが、
  もうすでに自分の中の本心の光が輝きを増していることなので、
  消えてゆくに従って、自己の心も自己の運命も善くなり展(ひら)けてゆくのである。
  そして自己の業想念を消して下さるのは、守護の神霊なのだから、
  常に守護の神霊への感謝で生活なさい、と説いていて、
  自己をも人をも、世の中をも責め裁くことから、
  想念を解脱させているのであります。
  そうしますと、その人も気づかぬ間に、その人の心が明るく豊かになり、
  安心立命してゆくのであります。
  これは多くの人の体験であって、間違いない事実なのです 」
                                 ( 「 宗教問答 」 207ページより )

〝 五井先生のお話は、神様が話して下さっている、
   五井先生の文章は、神様が書いて下さっている、 〟

私はいつも、そう思いながら拝読しています。
そして、五井先生のお話や文章から、無限の光を頂いております。
五井先生!…… ありがとうございます ……



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

〝 本当の人間 〟になれる教えです

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 自分も光る 人類も光る 」
   190ページ6行目から191ページ12行目まで より抜粋 >

『   病気の原因はどこにあるか、というと幽体にある。
  潜在意識の中にあるわけです。

自分では思っていないけれど、
以前思ったことが知らないで溜っている、それが潜在意識です。

顕在意識の心の現われているものは、僅かしか現われていない。
その僅か現われているものだけで、人間は生活しているんです。

しかし作用するものは、現われている心ではなくて、
現われていない潜んでいる心の方で、
それが人間の運命を創ってゆくわけです。

病気になるには、
前に潜在意識の中に病気の種(たね)がありまして、
その病気の種が縁にふれて現われてくるわけです。

因縁因果の波が現われて、
病気になったり、不幸になったりするんです。

どんなにいい薬をもってきて、その症状を治しても、
その人が良くなったというんではない。

病気が変わった、症状が変わっただけで、
抑えられて、一旦内に潜んだというわけです。

やがて折があると、縁にふれて、
今度は違う病気になって現われてくるわけです。 』


< 五井昌久著 「 自分も光る 人類も光る 」
      85ページ2行目から86ページ8行目まで >

『   みな前の世のこと、
  あるいは前の世のまた前の世のことが返ってくるわけなのです。

この世で貧乏で苦しんでいる、体も悪いとすると、
その人は前の世でその反対の人生をしていたわけ。

お金は持っていても、自分だけに使っていた、人を蹴とばして生きていた、
というような場合があるわけです。

そうすると今生で苦しむわけです。
苦しむことによって、前の世の業が消えてゆく姿になって、
消えてゆくわけなのです。

貧乏なら貧乏していること、病気なら病気をしていること、
苦しんでいることは、それはかわいそうであるけれども、
その貧乏を助けただけでは解決しないのです。

表面のその苦しみを助けただけでは、
その人が良くなるわけではないのです。

その人に一番必要なことは、
こういう行ないをすればこうなるのだ、という原理を教えることなのです。

ところが頭ごなしに原理を押しつけると、その人をいじめたことになります。
「 お前の心が悪いから、貧乏しているのですよ 」とこうやる、
これは今までの宗教です。

そうではなくて、
それはみんな過去世の因縁が消えてゆくのですよ、
だから消えてゆくのだと思いながら、世界平和の祈りの中に入って、
神様に貧乏も苦しみも病気も、いっぺんお返ししましょう、
というように世界平和の祈りをして、
神様のみ心の中に入れてしまえばいいのです。

その人の貧乏という業が全部、世界平和の祈りの中に入ってゆく。
どんどんお祈りをしてゆくと、
知らないうちに貧乏の業がなくなってしまうわけです。

そうすると改めて、神様のほうからいいものが入ってくるのです。
それは間違いなくそうなのです。
そういう原理を教えてあげるのが、一番の愛の行ないです。 』


< 五井昌久著 「 自分も光る 人類も光る 」
   62ページ6行目から65ページ2行目まで より抜粋 >

『  しっかりと神様につながっていること。

どんな悪いことが出ても、ああこれは消えてゆく姿だ、
私の本当の姿がこれによって現われてくるんだ、
ああこれも消えてゆく姿なんだ、
これで本当の姿が現われてくるんだ、というように、

いつもいつも明るい希望、灯をこの中で、
自分の中で照らしてることです。

暗い心の人があるならば、陰気な淋しい想いの人があるならば、
神様!ってすがりなさいよ。

ああ神様は愛なんだ、神様が私を悪くすることはない、とそう思うのです。

とやかく言っているのは消えてゆく姿。

どんなに疑っても、どんなに考えても、
大神様の正体をわかった人は一人もいない。

大神様はどこから出てきたのか、わかりゃしない。
自分はどこから出てきたかも、わかりゃしない。
明日のいのちもわからない、みんなわからない。

誰がわかっているのか? 
自分の運命を、世界の運命を誰がわかっているのか?

それは自分を創ってくれたもの、
人類を創ってくれたものがわかっているだけです。

人類を創ったものは何か、
それは絶対者、神という名前で現われている絶対者です。

その絶対者はどこにあるか?

自分の中にある、外にもある。
中には分霊として直霊としてある、外には守護霊守護神としてある。

これが一体になって、人間は、本当の仕事が出来る。
人間というのは、本当の人間の爪の垢ぐらいしか生きていない。
本当の人間というのは、こんな貧弱なものではないんですよ。
今地球に住んでいるような、こんな貧弱なものじゃないんです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回のお話の最後の所に、
「 人間というのは、本当の人間の爪の垢ぐらいしか生きていない、
  本当の人間というのは、こんな貧弱なものではないんですよ 」
とありますが、
その〝 本当の人間 〟になるための一番の方法を、
今回のお話のように、五井先生はいつもいつも教えて下さっています。
五井先生のご著書の中から、今回のお話と同じような内容の文章を
一つ引用させて頂きます。

「 人間の身体は、肉体だけではなく、幽体や霊体や神体など、
  いくつもの体をもっていることは、いつも申し上げております。
  そして、肉体に一番近い幽体には、神体霊体のひびきと、
  肉体界での過去世からの想念行為が蓄積されています。
  その意識層を潜在意識といい、奥の深い所の意識は神霊意識というのです。
  そして、この意識が基になって、今生の各自の運命が定まっていくのです。
  この潜在意識には、
  自分を損ね、人を傷つけたりする暗い意識の方が多く溜っており、
  神霊意識の方は、なかなか肉体行為として現れにくいのです。
  そして、この潜在意識は、
  肉体行為として、運命として現れれば消えてゆくのです。
  ところが、苦痛として、不幸として、いやな運命として消えてゆこうとするのを、
  人間はその想いを把えて、放そうとしないのです。
  ですから、折角守護の神霊の力によって、悪いいやな潜在意識を、
  消し去ってしまおうとする、その邪魔をしてしまうのです。
  そこで私は、すべては過去世の因縁の消えてゆく姿として、
  大光明波動の世界から生まれてきた、世界平和の祈りの中へ、
  守護の神霊への感謝と共に、投げ入れてしまいなさい、
  そうすれば過去世からの、いやな業因縁は、大光明の中で消され、
  世界平和の祈りがもつ、神のみ心そのものの
  明るい波が、幽体の中に溜っていくことになり、
  いつのまにか暗い運命が、明るい運命に変わってゆくことになるのです、
  と説いているのです。
  これは、大きくは社会国家人類の場合も同じなのです。
  一人一人の幽体の波動は、縁ある人の幽体の波動と交流しあい、
  ついには人類すべての、つまり幽界波動をプラスにもし、
  マイナスにもしてゆくのであります。
  ですから、一人の世界平和の祈りでも、
  救世の大光明の明るい波動を幽界に流し込むことになり、
  人類の運命を左右している幽界の波動を、
  明るい浄化したものにしてゆくのであります 」
                            ( 「 自らを信ぜよ 」 72、73ページより )

五井先生の、こんなにも素晴らしいご著書や講話集を読むことができて、
本当に幸せだなあ ― 、としみじみ感じます。
そして、それらを編集して残して下さった白光真宏会の方々に、
今、改めて深く感謝しているところでございます。
いつかきっと、世界中の人々が五井先生のことを知る日が来るだろう、
と私は確信しております。



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうかこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

厳しい冬の後には、必ず春が来ます

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 自然 大生命の絵巻 1 」
              78ページから80ページまで >

『   冬から春へ

猛吹雪で列車が立ち往生してしまうニュースがつづいた、今年の冬の寒さは、
東京でも毎日のように氷点下の日を迎えて、庭には毎朝霜柱が立ち、
台所の水道が凍りついて、久し振りの厳冬であった。

しかしながら、この厳冬の辛さは、何月もつづくわけではなく、
3月に入れば、ほっと一息という温かさになってくる。

私の故郷は越後なので、積雪が二階の屋根と並行していて、
歩みを運ぶのが、なんとも愉快だった少年の頃の記憶をもっている。

きびしい寒さは辛いには違いがないが、
その辛さがあるために、かえってなんともいえぬ喜びを感じることが度々ある。

こたつに温たまって読書したり執筆したりする楽しみは、
冬でなくてはの楽しみがあり、
暖房の部屋で、一家そろって温かいものを食べながら、
談笑することなども他の季節では味わえぬ味がある。

また、厳冬の終り近くなって、目の前に近づいてくる春を待つ気持も、
冬の厳しい辛さがあっての楽しみなのである。

人生はすべて、こうした季節のうつりかわりのようなもので、
辛さ悲しさというものを深く味わっている人ほど、
その喜びも深いものであるのだ。

寒い街中を歩いていても、
寒さを恐れず、体を真すぐにし、胸を張って歩いていると、
かえって寒風が快く感じてくるもので、
首をすくめ胸をせばめて歩きだすと、
どうにもやりきれない寒さを感じるものである。

人間というものは、恐れるという想いをもつことによって、
自己の生活を不自由にし、様々な苦悩を導き出してしまうものなのである。

冬の後には必ず春が来ると同じように、
人生における悲哀も不幸も、
やがては、すべて喜びに変わることがあるのである。

小さくは個人の、大きくは人類のすべての不幸や争いごとも、
時が来れば、自然に、大調和な状態に統合されてゆくのであるが、
現在の業波動(カルマ)に踊らされている人間の心には、
その真理がわからない。

そのわからない想いを業想念というのだが、
その業想念は、神の大愛を信じ、
すべてが神のみ心に生かされているのである、
という想いに自己をむけてゆけば、
自然と消え去ってゆき、
いつか真理の道がひらけてくるのである。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

五井先生は、いつも、
「 厳しい冬の後には、必ず春が来るのだから、どんなに辛く苦しくても、
  ひたすら守護霊様に( 守護霊守護神に )しがみついていなさいよ 」
と教えて下さっています。
五井先生の講話集の中から、目に止まった所を引用させて頂きます。

「 今不幸と現れている姿は、本当は、天命を現すために不幸を消しながら、
  光明界へ光明界へと前進している姿なのです。≪ 中略 ≫
  現れ出た不幸を、そのまま、不幸であると思って苦しみ、悩むのは、
  人間の本体を知らないからです。
  人間の真実の姿、生命の根源を教え悟らせるのが、宗教の根本なのです。≪ 中略 ≫
  人間の本体を悟らない限りは、真実の救われ方はしないのです。
  一番せっぱ詰まった時が、幸福への門を開きかけている時なのです。
  不幸と見える姿は、幸福に転回する姿なのです。
  冬来たりなば春遠からじ、なのです。≪ 中略 ≫
  真理を知りさえすれば、どんな不幸も、ついには消えて、
  善なる環境だけがその人の世界に現れてくるんです。
  真理とは何か、というと、いつも言っているように、
  人間には肉体の他にそれを生かし働かせている肉体以外の自分がある、
  ということを信じることなのです。
  直霊、守護神、守護霊、分霊、それが真実の自分であることを知ることです。
  肉体を動かしているものは、肉体以外の自分である、
  と分からなければ、不幸は絶えません。
  肉体以外の世界、神の国を思わなければ、この世界に真の平和は来ないし、
  個人個人がそう求めなかったならば、肉体界には幸福は来ないのです 」
              ( 「 生命(いのち)光り輝け 」 88ページから90ページまで より )

「 どんなに悪いことが現れても、どんなに苦労の最中にいても、
  最後の五分間まで、最後の一分間まで、
  ジーッと守護霊守護神にすがっていなければいけません。
  たいがい運命が開けるときは、最後の五分間、最後の一分間です。
  どうにもこうにもならないような、最後の土壇場にならないと救われない、
  冬が一番寒くならないと、春が来ない。
  それをあせってあせって、あせりぬいて、
  〝 先生ご利益まだですか、まだご利益が来ないんですが 〟と言っている。
  ご利益ご利益と言っている間はダメなのです。≪ 中略 ≫
  ご利益がほんとうに欲しいと思ったならば、
  いっぺん、ご利益が欲しいという想いを捨ててしまって、
  神様に全部まかせなければいけない。
  神様は愛なのだから、絶対、自分を不幸にはしない、
  という想いに変えなければならないです。
  一旦、自分の運命というものを、すべて神様の中へ投げ出してしまうと、
  本当の運命が開けてくる 」
             ( 「 生命(いのち)光り輝け 」 160ページから162ページまで より )

五井先生の教えを熱心に実践されている皆様方の中には、
思いやりの心が深い方が多くいらっしゃると思うので、
人の痛みを自分の痛みのように感じて、
「 自分達は五井先生から真理を教わっているから、
  どんなに辛い時でも守護霊守護神にすがりついて、
  〝 消えてゆく姿で世界平和の祈り 〟ができるけれど、
  何も知らないでただ苦しんでいる人達がかわいそう …… 」
と思われるかもしれません。
でも大丈夫、五井先生が開いて下さった道は〝 個人人類同時成道 〟です。
「 あの人もこの人も、あの人達もこの人達も、よくなってほしいなあ、
  日本がよくなってほしいなあ、世界が平和になってほしいなあ …… 」
という想いごと、あなた様が祈りの中へ飛び込めば、
あなた様の祈りは、いったいどれだけ多くの人を幸せにするでしょう ……
想像すらつきません ……



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞ私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

一歩一歩の歩みに感謝をこめて

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 自然 大生命の絵巻 1 」
             74ページから75ページまで >

『  一歩一歩の歩みの中で 

寒風膚(はだ)をさす峻烈(しゅんれつ)な大気は、
人の魂をきりりとひきしめさせて、私は好きである。

春の季節は、勿論好ましい季節だが、
この厳冬の膚をさす寒風は、
魂をよみがえらせるようなひびきをもっている。

昔私は、健脚をほこっていたので、
たいがいの道のりは、車にも乗らず、歩きつづけたものである。

春は花々を賞(め)で、冬は魂をきりりとひきしめて、
自然にとけきって歩いていたものである。

実に歩くことは、いいことである。

現在のように地球の業の浄化のために、
昱修庵(いくしゅうあん)を一歩も出られず、祈りつづけていると、
そうして歩いていた頃がなつかしい。

この浄化のための祈りが終ったら、
また再び歩いて歩いて歩きまくりたいものである。

天は父、大地は母、
天の父を仰ぎ、大地の母をふみしめていると、
天地の恩をひしひしと身に感じてくる。

老子さんがいっておられたが、
大地の歩みの一歩一歩を、おろそかにしてはならない、
一歩一歩の歩みに、感謝をこめて歩くのだ、
という言葉が今でも私の心の奥底でひびいている。

急ぎの用や、遠い所は勿論車を使ってよいが、
人間は歩くことの大切さをわすれてはならない。

祈りということでも、
ただ座って祈らなければならないということではない。

一歩一歩の歩みの中で、
世界平和の祈りが、なりひびいているようになることが望ましい。

天に和し、地に和し、
山川草木(さんせんそうもく)、
鳥獣(ちょうじゅう)に融合しているのが世界平和の祈りである。

人間の生活の中では、よほど立派な人でも、
すべてに和して生きていくことはむずかしい。

そのおぎないを、世界平和の祈りがつけてくれるのである。

世界平和の祈りは、
救世(きゅうせ)の大光明と、守護の神霊と、肉体人間の一体化によって、
なりひびいている祈りである。

だから、肉体人間のたらざるところは、
神霊方が、すべておぎなって下さるのである。

座って祈り、歩いて祈り、仕事をしながらも、
その祈りの中で生活できるのが、世界平和の祈りなのである。

自分の環境や立場にこだわらず、
空気を呼吸するように、世界平和の祈りを祈っていこう。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、あけましておめでとうございます。
いつもブログ「 ぶりらんて 」をご覧下さりありがとうございます。
皆様の守護霊様守護神様から、たくさんの光を頂いているおかげで、
ブログを続けることができて、心より感謝いたしております。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今回は、五井先生の随想集の中からご紹介しました。

〝 一歩一歩の歩みに、感謝をこめて歩くのだ 〟
という所が大きく目に止まり、心の中にズッシリと入って来ました。
そして、両足で大地をふみしめて歩くことができる、ということは、
決して当たりまえのことではないのに、
ついつい当たりまえのように思ってしまっていたなあ ―
と、しばし反省しました。

また、日々の生活の中においても、
この、〝 世界平和の祈りの道 〟という光輝く道のりを、
私は一歩一歩感謝をこめて歩いているだろうか ……
と、静かに瞳を閉じて心の奥を見つめてみました。
…………
年の初めに守護霊守護神様が、
【 感謝をこめて、世界平和の祈りをお祈りさせて頂くのですよ 】
というメッセージを送って下さったのだ、と思いました。

今年からは、一歩一歩の歩みにもっともっと感謝をこめて、
光り輝く〝 世界平和の祈りの道 〟を前進してゆきたいと思います。
「 ぶりらんて 」をご覧下さっている皆様と共に。



最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞ私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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