世界平和の祈りを祈れば、凡夫が菩薩になりますよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます



< 五井昌久著 「 非常識 常識 超常識 」 
   14ページ5行目から14行目まで >


『 世界人類が平和でありますように、
  世界人類が平和でありますように、
と口ぐせのように唱えていてごらんなさい。

小さな自分のことのごたごたや、
枝葉末節な考えなどはどこかに消え去って、

ただ大らかな、
人類の平和を願う本来心、
神仏のみ心が、

自分の心の底から湧きあがってまいります。

知らない間に自分の心が広々としてきて、

いつの間にか、
愛深い自分になっているのに
気がつくことでしょう。

言(ことば)は即ち神なりき、

世界人類の平和を願う言葉が、
なんの価値もない言葉であろうはずがありません。

これは観念的な言葉でも、
つくり言葉でもありません。

神のみ心そのものの言葉であり、
人類の悲願がそのまま生で現わされた言葉です。

これが、上手な言葉にして
この意味を伝えようとしたり、

詩的な言葉にしようとしたりしたら、
観念になってしまいます。

生きた言葉、
そのままの言葉、

それが、世界人類が平和でありますように、
という祈り言(ごと)なのです。 』


< 五井昌久著 「 非常識 常識 超常識 」
   190ページ7行目から193ページ11行目まで >

『 神の大愛は今、
世界平和の祈りとなって、
生かされてきているのです。

しかしまだあまり、
この世界平和の祈りは、
世界に宣伝されておりませんが、

神の大愛が、
はっきり地球世界に生かされる方法が
現われたのですから、

どんな障害があろうとも、
必ず世界中に広まるに決まっているのです。

考えてみて下さい。
世界平和の祈りなのです。

世界中でいったい誰が、
世界人類の平和を願わぬでしょうか。

正常心の人なら誰でも、
世界平和を念願しているのです。

その世界平和だけを一念にした祈りなのです。

しかもこの祈りは、
大神様から、

この祈りをするところ忽ち光明化して、
その人の体から光明を発する、
というお示しがあって、

私が自然と、
その事柄ずばりの
世界平和の祈り言を提唱しだしたのです。

≪ 中略 ≫

個人だけが救われれば善しとするような宗教観は、
もう今日の宗教観ではありません。

あくまでも、
個人人類同時成道でなければなりません。

神の大愛を生かす道は、
個人の救われと、
人類の完全平和が
同時になされる世界平和の祈りよりない、
ということが、これではっきりするのです。

神は大生命として宇宙に充ちみち、
神々は結集して、

今や地球人類救済のための、
大きな働きをしているのですから、

私たちはよく、
この神の大愛を信じて、

みずからが置かれてある環境の中で、
世界人類の平和を念願する、
世界平和の祈りの中に、

あらゆる不幸災難や、
不平不満の想念を投げ入れて、

日常生活を、
光明一元の生活に
切り替えてゆかなければなりません。 』


< 五井昌久著 「 非常識 常識 超常識 」
   126ページ1行目から127ページ14行目まで >

『 すべての嫌な想いや事柄を、
消えてゆく姿と一度想いの中でまとめて、

この世界平和の祈りの中に昇華させてゆく時に、

凡夫の人間が、
そのまま菩薩に変ってゆくのです。

これを日常茶飯事、
寝る前にも、
起きた直後にも、
三食の前にも、
歩いていても、
仕事の合間にも、
つねに唱えている時、

その人はいつの間にか、
自分でも気づかぬうちに、

小さな凡夫の自分から、
つねに世界人類全体に光明を投げかけている、
大きな人物になりかわっているのであります。

この世はすべて波動の世であり、

固い物質として現われているものでも、
元は原子であり電子であり、
そして波動であるのと同じように、

人間の想いも波動でありまして、

自己の出した想いの波は
大宇宙を経巡っているのであり、

自己の出した波は、
必ず自己に戻ってくるのであります。

この原理を知って、
世界平和の祈りを改めて思ってみる時、

この世界平和の祈りというものが、
いかに偉大な祈りであるかがわかってくるのです。

世界平和の祈りこそ、
現代の菩薩道なのであります。

世界人類という広い面に向って、
自己の想念波動を広げてゆくのです。

しかもその想念は、
世界人類が平和でありますように、という、
世界人類の平和を願っての祈りなのです。

小さな個人我の願い言ではないのです。

神のみ心と全く等しい願いを、
私たち肉体人間側から、

日常茶飯事、
瞬時休みなく、
光明波動として発するのですから、

これは全く神と人間との一本化ということになり、

神のみ心がこの地球界に、
はっきり現われるための
一番通り易い道となるのであります。

皆さんは、この理をよく噛みしめられて、

現代における菩薩業とは、
この世界平和の祈りをすることなんだ、
と心に堅く定められ、

多くの人々に伝えていただきたいのであります。

この祈りをしつづけていますと、

実際小さな暗い心であった人が、
見事に広い大きな心の明るい人物に変貌してゆくのです。

それはもっとも当然なことなのです。

なぜかと申せば、
つねに祈りによって神との一体化がなされているのであり、

この言葉本来が持つ高いひびきに、
唱えている人自身が、
いつの間にか同化しているからなのであります。

この世界平和の祈りが、
日本中隈なくひびきわたり、

そしてアジア一帯に、
欧米一帯にひびきわたった時、

はじめて、
人類の業生が、
はっきり消え去ってゆき、

戦争も天変地変もいつの間にか現実化せずに、
消え去ってゆくことでありましょう。

その日のくることを待ち望むや切です。

そのためにも、
私たち一人一人の世界平和を実現させるという熱意が、
大事なことになってくるのであります。 』


< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回の文章の中で、五井先生は、
「 すべての嫌な想いや事柄を、
  消えてゆく姿と一度想いの中でまとめて、
  この世界平和の祈りの中に昇華させてゆく時に、
  凡夫の人間が、そのまま菩薩に変わってゆくのです 」
と書いておられます。

もともと清らかな心の人が菩薩になるとか、
厳しい修行を積んだ人が菩薩になるとかいうのではなく、
「 凡夫の人間が、そのまま菩薩に変わってゆく 」というのです。
いかなる状態であっても、いかなる心境であっても、
そのままでいいから、
〝 これは過去世の因縁の消えてゆく姿なんだ 〟と思い定めて、
「 世界人類が平和でありますように― 」と唱え続けていれば、
救世の大光明が輝き渡り、
その人は、地球世界に大光明をふりまく、という、
菩薩行をしていることになるのです。

私は日頃、常に守護の神霊の方へ意識を向けて、
「 守護霊様守護神様、どのような事を心掛けてお祈りすれば、
  世界平和の祈りが深まってゆきますか? 」と、
目には見えない光の指導を仰ぐようにしているのですが、
初めの頃は、〝 自分が祈っている 〟という感覚だったのが、
だんだん〝 心の奥の自分が祈って下さっている 〟
という感覚に変わってきました。
心の奥の自分……神の子の自分……真実の自分……
五井先生は、
「 直霊、守護神、守護霊、分霊、それが真実の自分である 」
と説明されていますが、
その、真実の自分が「 世界人類が平和でありますように― 」と
ひびき渡らせて下さっている、という感覚に変わってきたのです。
そうすると、もう、「 ありがとうございます 」しかありません。
これはきっと、守護霊守護神様が、
「 何も力むことなく、
  ただ、〝 ありがたいなあ―、ありがとうございます 〟と
  感謝の気持ちでお祈りしていればよいのですよ 」
と、教えて下さったのだと思います。

世界平和の祈りには、やおよろずの神々が働いておられますが、
一番近くの守護霊守護神に感謝していれば、
それは、全ての神々様へ感謝していることと等しいのですから、
私はひたすら「 守護霊様守護神様ありがとうございます 」
と、全ての全てをまかせきってしまって、
守護霊守護神様に、ぴたっと、くっついていようと思います。
そしてこれからも、
「 真実の私が心の奥で〝世界人類が平和でありますように―〟と
  お祈りして下さっている……ひびき渡らせて下さっている……
  ありがたいなあ― すばらしいなあ― 」
と、よろこびながら、祈り続けてゆきたいです。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように


             世界平和


人間は大生命の分生命で、永遠不滅ですよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます



< 五井昌久著 「 生命光り輝け 」
   85ページ1行目から90ページ8行目まで >


『 人間は普通、
五十年から七、八十年しか
生きられないものと思っています。

ところがこれは大間違いで、
人間は本当は、
生きつづけに生きる生命なのです。

肉体の人間は五十年
多くともせいぜい百年しか生きられないのですが、

真実の人間は
何億万年も生きつづけているのです。

話の初めからこんなことをいうと、
随分おかしなことをいう、
と思う人があるでしょうが、

人間という者はこの肉眼では見えなくなって、
つまり肉体は死んでしまっても、

永久に生きつづけている
生命(いのち)そのものなのです。

肉体がなくなったらいのちがなくなった、
と思うのは五感のみで見るからなんであって、

肉体が消滅した後も、
人間のいのちは、
ちゃんと活動をつづけているんです。

それを普通は霊というのです。

人間は大生命の分生命(わけいのち)、
大霊の分霊なのです。

人間は肉体が消滅した後、

幽界或いは霊界という
肉眼では見えない世界で、

肉体界と同じように
神性の理念、
み心実現のために働きつづけるのです。

肉体界というのは、
大神の理念の一つの表現場所なのです。

そして肉体人間の一人一人は
その器、入れ物なのです。

その器であり、
入れ物である肉体人間が、

その中味の神様を知らず、

或いは知っていながらも忘れ果て、

場所であるべき国々が、
おのおの勝手な行動をしはじめたことによって、

人類の不幸が起ってきたのです。

だから人間の本体が
いかなるものであるかを知れば、

不幸は起らず、

また起ってきても
少しも恐れず
それを乗り越えていけるし、

その不幸を消すことも出来るんです。

そういうことを教えるために、
お釈迦さまやキリストが
この肉体界に生れ、

「 人間は肉体だけじゃないんだよ。
  この五感で見える世界だけじゃないんだよ。
  五感に見えるすべてを無いのだ、無いのだ、と打ち消し、
  空(くう)の境地になりさえすれば、
  真実の人間の姿がはっきりわかるんだ。
  その真実の人間は神様の子であって、
  そのすべてが力を合わせれば、
  神様そのものの姿が、
  この地上世界にもはっきり現われてくるんだよ 」
と教えたのです。

しかしそれから
二千年、三千年たっている今日になっても、
まだ人間は自分の本体がわからないんです。

それで現代に私のような人が現われて、
「 あなたが不幸だ不幸だ、
  と思っているその想念はあやまりですよ。
  不幸のように見えるけれど、
  それはみんな過去の誤った想念が、
  現われて消えてゆく姿なんですよ。
  人間の本体は神の子です。
  すべての悪い事態を消しつづけてゆけば、
  必ず善のみの姿が環境に現われてくるのですよ 」
と教えるのです。

人が貧乏や病気など、
いわゆる不幸で苦しんでいるのは、

大きな高い目から見れば、
本当はかわいそうではないのです。

かわいそうだな、と思うのは、
肉体そのものが、人間そのものである
と思う感情から来るものなのです。

人間がこの世に生れて来たのは、
過去世からの悪業(間違った想いと行い)を消しながら、

大神の光一つに生き通しに生きている生命、
つまり天命を生かすためなのです。

今、不幸と現われている姿は、
本当は天命を現わすために

不幸を消しながら、
光明界へ光明界へと
前進している姿なのです。

≪ 中略 ≫

幼児などの病気は、
両親や兄姉親戚などの

「 これで業が消えて必ずよくなるのだ、
  この子の真実の姿が現われるのだ 」
という深い祈りがあれば、
知らぬ間に治ってしまうものです。

そうした祈りをつづけていて、
たとえ死んだとしても、

周囲の暖かい高い祈りにつつまれて、
霊界の高い位置をしめることが出来るのです。

現われ出た不幸を
そのまま不幸である、
と思って苦しみ、悩むのは、
人間の本体を知らないからです。

人間の真実の姿、
生命の根源を教え悟らせるのが、
宗教の根本なのです。

≪ 中略 ≫

真理とは何か、というと、
いつもいっているように、

人間には肉体の他に
それを生かし働かせている
肉体以外の自分がある、
ということを信じることなのです。

直霊、守護神、守護霊、分霊、
それが真実の自分であることを知ることです。

肉体を動かしているものは、
肉体以外の自分であるとわからなければ、
不幸は絶えません。

肉体以外の世界、
神の国を想わなければ、
この世界に真の平和は来ないし、

個人個人がそう求めなかったならば、
肉体界には幸福は来ないのです。 』


< 五井昌久著 「 生命光り輝け 」
   100ページ1行目から7行目まで >


『 肉体というものは、
神ではありません。

神ではないけれど、
神の光を受ける器であり、
神の光をこの地上に輝かす場所です。

自分だけの利益のみに働いている肉体は、
神の器でなく、業想念(自我欲望)の道具です。

≪ 中略 ≫

自己向上のために、
人のために生命を生かしている肉体は神の器です。

あくまで肉体は器であって、

それを動かし、その内に働いている力が
光明燦然たる力、神の生命なのです。 』


< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

私達は、五井先生から、
〝人間の真実の姿とはこういうものなのですよ〟と教わり、
〝守護の神霊に感謝し、世界平和の祈りを祈り続けていれば、
真実の姿(神の子の姿)が現れてくるのですよ〟と教わり、
これほどありがたいことはございません。

世の中のほとんどの人が、まだ本当の自分の姿を知らずに、
五感に感じる世界だけを相手どっていますが、
真理を知った私達が、守護霊守護神に感謝しながら、
常に祈り心で日常の生活を送っていれば、
回りにどんどん光の波が広がっていって、
多くの人々の為に、大きくプラスになっていることは確実です。

3年ほど前のことです。
身内の者が病気になったので、一切を守護の神霊に託して、
「 ○○さんの守護霊様守護神様ありがとうございます
  どうか、○○さんの天命が完うされますように
  世界人類が平和でありますように 」と祈り続けておりましたが、
52歳で他界しました。

でも、今回の文章の中で、五井先生はこうおっしゃっています。
「 祈りをつづけていて、たとえ死んだとしても、
  周囲の暖かい高い祈りにつつまれて
  霊界の高い位置をしめることができるのです 」

生命というものは永遠に生き続けているのですから、他界しても、
祈りはちゃんと効かれているのだ、ということですね。

ちなみに私は、10年前20年前……ずっと前に他界した、
親しい人のことを思い出した時も、必ず、
その人の守護の神霊へ感謝しながら、
「 どうぞ、○○さんの天命が完うされますように 」
と、お祈りするようにしています。
きっと、みんなどんどん高い所へ昇っていっていると思います。

五井先生は他のご著書の中で、このような事を書いておられます。

( 「 宗教問答 」45ページより )
「 大きく分けて、幽界、霊界、神界という世界が、
  肉体界と異なる世界として現存することは真実なのであります 」

( 「 宗教問答 」47ページより ) 
「 真実に神の存在を信じ、しかも、
  神の慈愛の現われとしての守護神の存在、
  祖先の子孫への愛の現われとしての守護霊の存在を
  信じ得る者、
  そして、それらの神霊への感謝の念に生きる者は、
  死後は、はっきり守護の神霊の存在を確認することが出来、
  それらの守護の神霊の守り給うままに生活出来るので 
  あります 」

( 「 宗教問答 」48ページより )
「 世界平和の祈りを真剣にやっておられる人は、
  その行ないが、そのまま菩薩としてのものですから、
  霊界の上位あるいは神界にまでも
  到達することが出来るのであります 」

これからも、自他の生命が光り輝きますように、
皆様と共に、世界平和の祈りを深めてゆきたいと思います。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように


             世界平和
プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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