言葉以前の光の人になりましょう

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます



< 五井正久著 「 天の心かく在り 」
   152ページから157ページまで >


『 どういう祈り方をしても、
どういう想いで祈ってもいいけれど、

やがてそれが慣れてきて、
本当のことが判ってくると、

〝ああ自分はこの世にとって大事な者なんだな、

自分はつまらなそうな人間に見えるけれども、

実はつまらない人間ではなくて、

世界を本当に平和にするための菩薩の一人なんだ、

天使の一人だったんだ〟

ということが自覚されてくるわけなのです。

肉体人間としての自分は菩薩でないかも知れない、

だけれども、
世界平和の祈りをすることによって、

凡夫が、一般の大衆が菩薩に変わってゆく。

天使に変貌してゆくわけです。

もっと言い換えれば、
菩薩や天使と合体して、

この地球人類を救う大きな役目を、
自分が担っているということになるのです。

だから皆さんが何気なく、

世界人類が平和でありますように 
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように 
守護霊様、守護神様有難うございます

といっている祈り言は、

知らない間に、
自分を高い高い波動の世界に運びこんでいるのです。

皆さんが気がつかなくても、
そうなんですよ。

常に祈りをすること

一番大事なことは、常に祈りをする。

常に祈りに始まって祈りに終わる。

日常茶飯事が全部、
世界平和の祈りを根底にしてやってゆく。

その中で消えてゆく姿のような悪い感情が出たり、
あるいは人を憎む想いが出たり、
自分をダメだという想いが出たり、
間違ったことをしてしまったりしたら、

「 ああこれはいけないことだな、
  こんなことではいけない、
  これは消えてゆきますように、
  どうか神様、
  一日も早くこういう悪いものを消してください。
  もう再びいたしませんから、
  どうぞお願いします 」といって、

その想いもこめて、
その想いを消えてゆく姿として、

世界人類が平和でありますように、
という大光明の中に入れていると、

弛みなく、
常に入れていると、

知らない間に、
自分の体が光明燦然たる肉体になるわけです。

肉体がそのまま霊体のような、
光明燦然と光を放つ体になるんです。

世界平和の祈りが本当に軌道に乗ってくると、
自分の体から光がパーッと出てゆくわけです。

救世の大光明に合体して、
自分の本心の光も出てゆくわけです。

そうすると、
自分が言葉でとやかくお説教するんじゃなくても、

自分が気がつかなくても、
相手が浄化されてゆく、

浄まってゆく、
相手が立派になってゆくということになります。

声の言葉で相手を立派にするというよりも、

人格そのものが、

その人がそこにいることによって、
周りが浄まってゆく、

知らない間に柔和な、
いい人々に生まれ変わってくる、

というそういう人間に、
皆さんの一人一人がなることが一番大事なんです。

言葉以前の光の人に

声の説教というのには嫌がる人も随分あるわけです。

しかし、
柔和な、
温かい、
親切な人柄に接すると、

その人柄から発する光によって、

口をきかなくても、
ああなんて善い人だろうな、
とか好意を持つ場合が随分あります。

≪ 中略 ≫

言葉以前の光、
想念が光になっている。

言葉以前の自分の人格というものが、
光り輝いているようになれば、

〝あなた、こうしなければダメですよ〟
なんて言わなくても、

光が向こうに伝わっていって、
向こうは同化されてくる。

そういう人間に一人一人がなることが大事だと思うのです。

弛みない〝消えてゆく姿で世界平和の祈り〟を

そのためには、
弛みなく、
〝消えてゆく姿で世界平和の祈り〟をする。

消えてゆく姿というのは反省のことです。

これはいけないな、と反省して、
それを世界平和の祈りの中に入れてしまう。

そして日常茶飯事を続けていれば、

いつの間にか、
自分でなんとも思わないうちに、
知らない間に、

自分の魂は立派になっているし、
自分の行ないは立派になってゆくのです。

消えてゆく姿で世界平和の祈りをやっていて、
その行ないが立派にならないとすれば、

その人のやり方がどこか違っているのです。

例えば反省がないとか、
思い上がってしまったとか、
ということであって、

常に謙虚な気持ちで、

どんな時にも、
消えてゆく姿で世界平和の祈りをやってゆかなければいけません。

≪ 中略 ≫

そういう人が多くなればなるほど、

この地球人類は怪我少なく、
損害が少なく、

新しい波動に合わせて、
新しい世界を創ってゆける。

地球人類の天国を創ってゆけるわけなんですよ。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回書かせて頂いた文章の中で、五井先生は、
世界平和の祈りを祈る私達一人一人が、
〝言葉以前の光の人〟になることが大事だと話されています。
何も言わなくても、その人がそこにいるだけで
まわりが浄まっていく、というような、
言葉以前の人格が光り輝いている人間になることが大事だと。

また、そうなるためには、
常に祈りに始まって祈りに終わる、
日常茶飯事、全部世界平和の祈りを根底にしてやっていく、
ということが大事だと教えて下さっています。

さらに、お話の最後の方では、
「 消えてゆく姿で世界平和の祈りをやっていて、
  その行いが立派にならないとすれば、
  その人のやり方がどこか違っているのです。
  例えば反省がないとか、思い上がってしまったとか、
  ということであって、常に謙虚な気持ちで、
  どんな時にも、消えてゆく姿で世界平和の祈りを
  やってゆかなければいけません 」
ということもおっしゃっています。

以前入っていた宗教団体で、
「 私はもう体覚している 」と言っている人がいましたが、
その人を見ていて、立派な人とは思えませんでした。
これは、きっと守護の神霊が、
「 常に謙虚な気持ちでやってゆかなければいけませんよ 」
と、教えて下さっていたのだと思います。

そしてその、謙虚な姿勢を保つためには、
五井先生がいつもおっしゃっているように、
守護の神霊を思い、感謝しつづけることが一番だと思います。
いつも守護霊守護神にピターッとくっついて、
「 守護霊様守護神様、常に謙虚な気持ちで
  消えてゆく姿で世界平和の祈りをやってゆけるように、
  どうか、どうかよろしきように導いて下さい。もし、
  万が一、思い上がってしまうようなことがあったら、
  その時にはビシッ!!と喝を入れて下さい 」
とお願いしていれば安心です。

守護霊守護神様は、一日二十四時間つきっきりで、
消えてゆく姿で世界平和の祈りを指導して下さっている……
と言うより、一緒にやって下さっているのですから、
最高に心強いです。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和



世界中の誰もが祈れる世界平和の祈り

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます



< 五井正久著 「 本もの贋(にせ)もの 」 
   50ページ8行目から51ページ6行目まで >

『 私どもの世界平和の祈りも、
地球人浄化の大きな働きとなっているのです。

昨日まで小人(しょうじん)と思われていた人が、
いつのまにか、
堂々とした人物になっている例がたくさんあります。

日々の祈りによって、
生命の働きを邪魔していた業想念が、
いつのまにか消されていってしまったのです。

心が広くなる祈り

ですから、
一方では小さな枝葉なことに把われて、
くよくよ生きながら、

一方では日々の世界平和の祈りの波の中に入っている、

そういう生活でも、
やがては
枝葉に把われる業想念のほうが
消えていってしまい、

世界平和の祈りの大光明波動が
残ってゆくのであります。

それは勿論そのはずです。

人間の神性は神の子であり、
光明そのものでありますから、

日々その光明波動である
世界平和の祈りをつづけていれば、

当然明るい余裕のある人柄になってくるに決まっています。

自分のような者は何をやっても駄目だ、などと思わず、
しばらく世界平和の祈りを続けてみて下さい。

自分でも不思議なくらい、
心が広くなり、

見るものすべてが、
美しく見えてまいります。

これは世界平和の祈りを実践した
多くの人々のいつわらざる言葉です。 』


< 五井正久著 「 本もの贋もの 」
   53ページ7行目から14行目まで >

『 日々世界平和の祈りをすることは、

個人がそのまま人類の光明となって、
大きく拡大されてゆくのです。

一人の人間の肉体に把われていた小さな魂が、
全人類という大きな生命と一つになってゆくのです。

ですから、
自分は人のために何もできないと思ったままでよいから、

日々瞬々世界平和の祈りを祈り続けていて下さい。

世界平和の祈りは、
小人がいつのまにか、
大人(たいじん)の道を歩んでいると同じことになり、

凡夫が聖者の光を身に輝かせているということにもなるのです。

この地球世界は、
一部の政治家にまかせておいて
よくなるものではありません。

私達の一人一人が、
救世の大光明と一つになる
世界平和の祈りを祈りつづけ、

自分達の身体を
光明身にかえてゆくことが必要なのです。 』


< 五井正久著 「 本もの贋もの 」
   198ページ8行目から200ページまで >


『 そこで、いつも申しておりますが、

世界平和の祈りは、
どのようにすればよいかについて、
又改めて申し上げてみましょう。

世界平和の祈りというのは、

どんな宗教宗派に入っていようと、

どんな国の人であっても、

真に世界平和を願い、
自己の幸福を願う人なら、

誰でも反撥なしに唱えられる
祈り言でできています。

世界人類が平和でありますように、
こうした祈りに反抗を持ち得る人は
一人としていないわけです。

何処でも誰の前でも、
堂々と明るく祈れるのが、
世界平和の祈りです。

この祈りは、
自分の心を美しく磨いてから祈れ
という祈り言ではありません。

業想念の渦巻くままでもよいから、

その想いのままで世界人類が……とやれば、

救世の大光明の中に
その人自体が入り得たことになるのです。

怒りの想いのまま、
恨み心のまま、
妬み心のまま、
欲張り心のままでもよいから、

世界人類が平和でありますようにと唱えれば、

神々はその人々の業想念波動を
いつの間にか、
光明波動に洗いあげて下さっているのです。

その期間の早い人も遅い人もありますが、

只祈りつづけていれば、
その人は必ず安心立命の境界に入り得るのです。

業想念波動が、
光明に輝く生命波動そのものになって、

自分たちの生活が明るく清らかになってくるのです。

それと共に、
その人の体を通して
光明波動が、世界中に放射されてゆくのです。

一人出家すれば九族救われる、
という言葉がそのまま実現されるのです。

世界中が、世界平和の祈りに統一されて、

世界が全き平和を実現させる日のために、

私たちは、悪にも善にも把われず、

把われたら把われたまま、

世界平和の祈りを根本にした
日常生活を行じてゆきましょう。

諸神善霊のそのまま働き給う、
世界平和の祈りこそ、

大救世主のみ心がそのまま働いている
光明思想そのものなのであります。

個人個人の生命を
そのまますこやかに生かすと共に、

人類全部の生命を生き生きと生かしきる、
というむずかしいことが、

日常生活の中で、
易しくでき得る道を

世界平和の祈り言は、
徐々に切りひらいてゆくのであります。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

いつでもどこでもどんな時でも祈れる「 世界平和の祈り 」は、
一行目の〝世界人類が平和でありますように〟だけを
唱えてもよいのですから、小さな子供でもお祈りできます。
また五井先生は、
「 外国人の方々は、二行目の〝日本が平和でありますように〟
  の所では、それぞれ自分の祖国を入れてお祈りして下さい 」
ということもおっしゃっていますので、
世界中の誰も彼も、み-んながお祈りできます。

私は初めの頃、とても易しい祈り言なので、
〝こんな祈り方でいいのかな?〟と、かえって自信が持てず、
「 守護霊様、こんな祈り方でいいのですか?どうぞ導いて下さい 」
とお願いしていました。
今でも……というより、今は、前よりももっと、
「 守護霊様守護神様、どうか世界平和の祈りが深まりますよう
  導いて下さい 」と、いつもお願いしております。

世界平和の祈りの祈り方について、
五井先生は次のような文章も書いておられます。

「 それはちょうど瞬々刻々の呼吸をするように、
  自然な気持ちでなしつづければよいので、
  特別に気張ってやる必要も、力を入れてやる必要もないのです。
  ただひたすら、守護の神霊の加護を念じつつ、
  守護の神霊の加護に感謝しつつ、祈りつづければよいのです 」
     ( 五井正久著 「 世界人類が平和でありますように 」112ページより )

どのような祈り方でも、世界平和の祈りを祈れるということは、
この上なくありがたいことなのですが、
私は一人で静かに、ゆったりとしたクラシック音楽をかけながら、
守護霊守護神様を思って思って思って
お祈りするのが好きです。
私は霊能者ではないので、霊的には何も分かりませんが、
心の中で、守護霊守護神様と見つめ合ってほほえみ合って、
守護霊守護神様の大慈愛の光に抱かれていることを感じながら、
「 守護霊様-守護神様-ありがとうございます-
  世界人類が-平和でありますように- 」
とお祈りしている時が、一番幸せです。

ほんとうに、幸せです……。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうか、このブログを見て下さる全ての方の天命が
完うされますように

世界人類が平和でありますように


             世界平和

今年も共に、感謝の心を深めてまいりましょう

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます



< 五井昌久著 「 自然 大生命の絵巻 1 」
   92ページから93ページまで >


『 日の出 日の入り      

人間の生活にとって、大事なものはたくさんあるが、
太陽はその最も大事なものの一つである、

というより、最大のものである、といってもよい。

太陽がなくては、
この地球界の生物は生きてゆくことができない、

というそういう根本のことを除いて考えても、
太陽は人間にとってなくてはならないものである。

私たちは暁の祈りを時折りしているが、

暗い空が少しづつ明るんできて、
太陽がその顔をみせはじめる時の爽快さ、美しさは、
口ではちょっといい現わせない天与のものである。

そして、夕日の沈む時の空の美しさは、また格別なもので、

日の出の輝やく美しさと違って、
人の魂を休ませる穏やかな愛のひびきを感じさせる。

先年、アメリカ東北部の、
ある村でみた夕日の沈むさまは、
今でも瞼に浮んでくる。

北側の山脈(やまなみ)が
濃い茶紫(ちゃむらさき)にかげって、

東西に伸びた広い広い道の西の空が、
いつまでも夕日にいろどられているさまは、

ミレーの晩鐘をみるようで、

日本の都会に住んでいる私たちが、
見ることのできない雄大なロマンなのである。

日の出、日の入りのさまはともかく、

太陽に対する人間の心は、
感謝そのものでしかない。

おてんとうさまありがとうございます、
と昔のお百姓さんが太陽を礼拝していたように、

私たちも改めて、
太陽にまともに感謝する生活をしてゆく必要がある。

それと同時に大地に感謝し、
空気や水に感謝する、
感謝の心を深めてゆくことが大事である。

宗教の道に入って、
神界がどう、霊界がどう、
ということを知ることも大切ではあるが、

最も根本の生き方である、
物事事柄に感謝する生活を、
改めて自分のものにしてゆくことが必要なのである。

宗教の道は本来、
素朴純情の道で、
理屈で入ってゆく道ではない。

何もの何ごとに対しても感謝できるようになったら、
その人は悟りを開いた人というべきなので、

理論的にだけわかったからといって、
その人の悟りが高められたといえない。

要はその人の行為がいかに、
神のみ心に近くなっているかということが大事なのである。 』



< 五井昌久著 「 自然 大生命の絵巻 1 」   
   94ページから95ページまで >


『 天地の恩  

個性なき歩みか群(む)るる人自動車(ひとくるま)
          銀座は天(そら)を失わんとする


以前にこんな歌をつくったことがあったが、

人間の知識が進み文明開化の今日になると、

徳川時代とは全く別世界のように、
生活が便利になり、

どこへ行くにも、
電車、自動車、
はては飛行機にまで進展して
すべてが非常にスピード化してきた。

とともに組織化してもきた。

これは一面において、
昔のように労力を費さず、
自己の便宜がはかれる生活状態になってきたことで、
実に結構なことではあるが、

この歌にもあるように、
人間の生活が画一化され、
個性的変化に乏しく、

一歩一歩の歩みにも、
味わい深いものをなくしていくかに見える。

高い建築物と、
相次ぎ行交う自動車、
ひびき合う騒音、

人間はこうした中を天(そら)の美しさを見失い、
大地の広(ひろ)らかさを忘れて、
押し流されている。

人間の築き出した生活の中に、
自然は次第に置き忘れられていく。

天空に流れている自然の生命、
大地に溢れている自然の滋味、

そうした自然の生命が、
人間生命の中に、
流れ来り、融け入り、

そして、一個の人間の深い味わいとなっていることを、
文明開化の社会生活は、
いつしか、人間から忘れさらせようとしている。

天空は、晴雨というそれだけのためにあるのではない。

大地は農民のためにだけあるのではない。

天地は全人類のために
一瞬も欠くことのできない絶対なる存在である。

天候に感謝しても、
天空そのものに感謝する人は少い。

まして、農民を除いて、
日々大地に感謝して生きている人が
どれ程いるであろうか。

天地なくして我々は生存することができない。

暴風雨、天変を恐れるより天に感謝することである。

地震を恐れるよりも先に、
大地の恩に感謝せねばならない。

人間は何よりも先に、
天地自然の大恩に感謝し、

父母に感謝し、

自分に触れるすべての人々、
事物に感謝すべきである。

そうした想いを根底にして、

はじめて、文明開化の様々の恩恵が、

真実の姿として生活に生きてくるのである。

神仏への信仰は、
こうした心構えが、
その最初の出発点であり、
最後の帰着点でもある。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今回は、五井先生の随想集の文章を載せさせて頂きました。
この世にいらした時の五井先生(1916~1980)と、
お会いすることはできませんでしたが、
随想集を読んでいると、五井先生がとても身近に感じられます。

五井先生は厳しい守護神のもと、超人的な修行を積まれて、
30代で完全な神我一体となられました。
ですから、自然の恩恵に対する感謝行にしましても、
天地自然と全く一体となって、
計り知れないほど深い感謝を捧げていらしたのだと思います。

それを考えると〝私の感謝の仕方は浅すぎるのではないか〟
という想いが出てきてしまいます。
しかし、いつでもどこでも守護の神霊がついて下さっています。
私は、
「 守護霊様守護神様、どうか、深い感謝を捧げて下さい 」
とお願いして、守護霊守護神様にぴたっとくっついたまま、
たとえば、
おてんとうさまありがとうございます
大地さんありがとうございます
お水さんありがとうございます
お花さんありがとうございます
……という具合いにやっております。

今まで忘れがちだった天地自然への感謝を、
これからはもっと深めていこう、という心構えがあれば、
守護霊守護神様は、凡夫の私にできないことを、
全部やって下さいます。

今年も、守護霊守護神様に全ての全てを託しながら、
世界平和の祈りを祈り、
感謝の心を深めてまいりたいと思います。
ブログ「 ぶりらんて 」を見て下さっている皆様と共に。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます。

どうぞ、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように


             世界平和
プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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