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顕在意識も潜在意識も光の水で洗って頂きましょう

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 運命を恐れるな 」
   91ページから92ページ8行目まで>

『  今現実に現われている顕在意識と、
過去世から今日までの心の中に潜んでいる潜在意識とを、
すべて消えてゆく姿として、心の中から消し去ってしまい、

潜在意識のもっとずっと奥にある、神意識、
人間の本心の望んでいることが、
この世の現実の生活として、真直ぐ妨げなく現われるようにと、
祈り心で生活することを実行するとよいのであります。

その方法を私は、
消えてゆく姿で、世界平和の祈りというような簡単な方法で、
しかも容易に神との一体化ができる教えにしたのであります。

この世においても、あの世においても、
人間として立派な善い生き方をするためには、
本心を輝かして、神のみ心の通りに生きなければなりません。

それにはどうしても潜在意識に潜んでいる、
利己主義の想い、
争いの想い、
妬みや怒りや、
反逆の想い等の
神の愛のみ心に反する想念を消し去っておかなければいけません。

そうしませんと、
顕在意識で、人を愛そうと思い、人と争うまいと思っても、

その表面意識を押しのけて、
潜在意識から、
憎しみや怒りや妬みや争いの想いが浮びあがってきまして、
自己の表面の意識の通りに自己の生活が成り立ってゆきません。

そこで、いつまでも自己の安心立命のできぬ日々が
続いてしまうのであります。

私はこういうことがわかっておりますので、
顕在意識も潜在意識もともに消えてゆく姿として、
すべてを世界平和の祈りのような、人類愛の祈りの中に、
守護の神霊への感謝の想いをこめて
投入してしまうことを教えているのであります。

そういたしますと、
人間本来の生命の働きが大宇宙の運行の一環の流れとして、
自由自在に働くことができるのです。

これを釈迦牟尼世尊は、空(くう)という言葉で説き、
イエスは神への全託と説き、
老子は無為にして為せと説いてきたのであります。

神道でいう神ながらの道というのもそういう原理なのです。 』


< 五井昌久著 「 運命を恐れるな 」
   140ページ5行目から142ページ8行目まで >

『 既成宗教のように、
あまり真正面に神仏との一体化のための修業ですと、
大衆には重荷になって、
とても修業についてゆくことはむずかしくなります。

空になるための坐禅にしても、
生命(いのち)を捨てて生命を得る、と言い、
下衣をとるものには上衣をも与えよ、
というキリスト教の教えにしても、
なかなか実行できにくい教えです。

といって、こういう教えはやはり真理でありまして、

人間が普通常識とされている、
この世の物質生活に把われている限りは、
とても真の救われの道に入ることはできません。

やはり物質に把われる想いや、
現世の利害打算や、
感情想念に把われる想いを、
一度空にしないと駄目なわけです。

空になることも、
生命を捨てざれば生命を得ず、
ということでも同じことでありまして、

神の子本来の姿を包んでいる
あらゆる把われを捨て去ることなのであります。

ですから、現世利益を主としての宗教入りが、
そのままの心の状態では、
とても真の救われに入ることのできないのは、理の当然であります。

汚れた水をそのままにして置いて、
器だけをいくら磨いたところで、
中の水が奇麗になりようがありません。

汚れた水は一度捨てて、
改めて新しい水を入れることによって、

内から見ても、外から見ても、
その水は奇麗に見えるわけです。

その理が空になれ、ということであり、
生命を捨てざれば云々ということになるわけなのです。

私はそのところを、
そう極端に、
一度にそういう浄まった状態を現わすことは、
この地球世界の汚れきった波動圏の中では無理があるので、

この空の代りに、
生命を捨てる代りに、
消えてゆく姿、という言葉を使ったのであります。

この世に現われてくる、貧乏も不幸も災難も、
あらゆる出来事事柄は、
みんな過去世の因縁の消えてゆく姿である。

それはみな、本心、本体、
つまり神の子人間を包んでいる業の波が、
内なる神(守護の神霊を含む)の光明によって、
消え去ろうとしてこの世的に現われてきた姿なのだから、

ひたすらに守護の神霊の加護を念じて、
消えてゆくに従って、
本心が開かれてゆくのだ、
開運してゆくのだ、と、

消えてゆく姿の出来事事柄を、
世界人類が平和でありますように、
という人類全部の幸せを願う、
広い大きな愛の祈り言の中に投げ入れてしまいなさい。

それを常時、
朝起きる時、
三度の食事の時、
歩いている時、
乗物の中、
寝床の中、
どんな時にでも、心の中で唱えていなさい、
と教えているわけです。

そう致しますと、
世界平和の祈りは、
そのままが神のみ心でもあり、
神の子人間の心でもありますから、

神の光明が心の中に充満してゆき、
業が急速に消されてゆき、
汚れた水がいつの間にか奇麗な水に入れ代ってゆくのであります。

これを続けてゆくことによって、
一度に空になれなくとも、
次第に空と同じ状態になり、

般若心経の色即是空、空即是色の空即是色と同じ状態になり、
神の光明が、祈っている人の生活状態に現われてくるのであります。

こういう方法を取れば、
現世利益を願いながらでも、
祈りそのままが、天への道につながっていて、
いつの間にか、本心が開発され、真人の姿が現われてくるのです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回の文章の中で五井先生は、
「 汚れた水がいつの間にか奇麗な水に入れ代ってゆくのであります 」
と、水にたとえて説明して下さっていますが、
同じようなお話が講話集の中にもありましたのでご紹介します。

「 どんな汚い水があっても、どんどん奇麗な水を入れていれば、
  汚い水と奇麗な水と一緒に溢れて、知らないうちに奇麗な水になります。
  それと同じこと。
  だからどんどん新しい光の水を入れなきゃならない。
  光の水はどこから来るかというと、
  世界平和の祈りの神様の救世の大光明の中から来るわけですよ。
  だから救世の大光明の中に、どんどん
  自分のいやな想いも、よい想いもみんな入れていけば、
  知らないうちに潜在意識が奇麗に光で洗われていく。
  こんなやさしい方法はないですよ。そうすると、
  今までかんしゃく持ちだったのが見違えるように穏やかになる。
  今まで臆病だった人が見違えるように勇気が出てくる、
  というようにまるで人柄が変わってくるんですよ。  ≪ 中略 ≫
  だから山に籠って行をしなくたって、いつも祈りをしていれば、
  いつの間にか自分は変わってくる。
  世界の様相も変わっていく、ということになるんです。 」
               ( 「 我(われ)を極める 」 228、229ページより )

皆様、五井先生は
「 見違えるように変わる 」 と、おっしゃっていますよ。
「 まるで人柄が変わってくる 」 と。
私はここを何度も読みながら、
〝 ああ、やっぱり五井先生の教えを続けている人達は皆、
   見違えるようにすばらしく変わっていくんだなあ― 〟
と、思わず顔がほころびました。

さらに、
「 いつも祈りをしていれば、いつの間にか自分は変わってくる
  世界の様相も変わっていく、ということになるんです 」
と、お話しされています。
世界平和の祈りを祈れば自分だけが変わるのではなく、
世界も変わっていく、ということですね。
なぜなら、それは神界との約束事だからです。

神界から、救世の神々様の美しい愛の声が聞こえてきそうです ―

【 世界平和の祈りを祈りなさい
  そうすれば必ず
  あなたも救われ、世界も救われてゆきます
  約束しましょう
  約束しましょう …… 】


最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞ私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

想いを消してもらえることのありがたさ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 質問ありませんか? 」
   117ページ8行目から120ページ13行目まで >

『     先生が ⦅ この世の不幸や災難は、すべて過去世からの
       各人の想念行為によるのであって、
       神の子そのものである生命体は少しも苦しんでいないし、不幸でもない。
       不幸であり、災いを受けているのは、各人の想念(おもい)だけなのである ⦆
       と書いていらっしゃいますが、
       苦しんだり災いを受けたりするのは想念だけである、
       というのはどういうことでしょうか?

  この世の中の苦しみ、不幸というものは、
   何が不幸なのか、何が苦しみなのか、というと、
   肉体にまつわる想念が苦しむのであり、想いが不幸なのです。

いつも言いますが、眠っている時には、
どんな病人でもどんなに貧乏な人でも、
想いがそこにないから、全然なんでもない。

≪ 中略 ≫

しかし、想いがよみがえると、
病気があり、貧乏があり、苦しみがある。

つまり想いが不幸を感じ、
想いが病気をし、
想いが貧乏を感じるわけです。
想いが勝手につくっているのです。

生命体そのものは、
そういうことに関係なく肺臓を動かし、心臓を動かし、
いろいろな活動をしているわけです。

お釈迦様はインドのカビラ城の王子でした。
若い頃いろんな遊びもしたし、楽しみもした。
ところがちっとも楽しくない。

そしてある時病人を見せられ、老人を見せられ、
いろんな不幸なことを仙人によって見せられたわけです。

それで、「 ああこの世はいやだな、
どうしたらこの世の苦しみというもの、
老人になって醜い姿をさらす、
病人になって醜い姿をさらす、
貧しいこと、老いること、病気のこと、死ぬこと、
そういう苦しみから逃れることが出来るか 」 と言って家を出て、修行するわけです。

そして悟りを開いたことはどういうことかというと、
想いが苦しくなければ苦しくはないんだ、ということがわかったのです。

人間の苦しみは何かというと、
想いが苦しんでいるんであって、
生命(いのち)そのものは苦しんでいない。

生命そのものは仏なのだ、
生命そのものの流れは仏の姿なんだ。

だから、坐禅観法をして空になって、
その想いから解脱しさえすれば、
その人は光り輝く人であって、
貧乏でも苦しくない、病気でも苦しくない、
ということを悟ったわけです。

お釈迦様はそこで坐禅観法、今言う祈りを教えたのです。

そして中の仏を出せ、
想いが邪魔するのだから、
想いをすべてなくし、
消してしまって空になればいいんだ、
と終始一貫〝 空 〟を説いたのです。

そして、どうしてその想いというものは、
そのような境遇になり、嫌な想いとして現われてくるのかというと、

過去世の因縁がめぐってきて、
今の苦しみになり、今の不幸にもなり、幸せにもなり、
いろいろの境遇にもなるわけですけれども、

それはあくまでも業生(ごうしょう)の世界のことであって、

どんなに幸せそうに見えても、
どんなに不幸そうに見えても、
それは実際にあるものではないのだ、

過去世の想いの波が伝って来ているのだ、( お釈迦様は消えてゆく姿とは言わないが )

だから、その想いにさえ把われなければ、
人類は不幸ではないのだ、ということなのです。

それを私は、今現われてきているものは、
過去世の因縁が現われて消えてゆく姿なのだから、

消えてゆくんだと思い、
消えてゆくに従って、本心が現われてくるのだから、

本心そのものの自由自在性が現われてくるのだから、
消えてゆく姿に把われなさんな、と言っている。

この世のあらゆる出来事、自分の想い、人の想い、
そういうものに把われなさんな。

しかし、把われなさんな、というと把われてしまうのが人間の癖だから、
把われるのもしかたがない。

把われたら把われたでいいから、
その把われた想いを消えてゆく姿として、
世界平和の祈りの中に入れてしまいなさい。

世界が平和になり、
みんな完全円満になるというものは、
神様、仏様のみ心そのものなのだから、

世界平和の祈りの中にいれば、
神様のみ心の中に入ったと同じなのだ。

神様のみ心の中にいれば、
人間は本来神の子であり、仏であるのだから、

その大光明波動が自分に伝って来て、
潜在意識も顕在意識も大光明波動の中に入って調和した波動になるから、

やがて、消えてゆく業の姿もなくなって、
光り輝く人間になって、みんな誰も彼も仏になるんだよ、
と親切克明に説いているわけです。 』


< 五井昌久著 「 質問ありませんか? 」
   124ページ5行目から125ページ2行目まで >

『 世界人類が平和でありますように、と思えば、

自分の中の消えてゆく姿の想いが起っても、
それは神様のみ心の中で、大光明の中で消されてゆくわけです。

自分の中にいろんな想いが起ります。
想いを起すまいと思ったら、かえって苦しくなってしまいます。

≪ 中略 ≫

そこで私は、どう言うかというと、

地球界にいる人では、
怒りも出るでしょうし、妬みも出るでしょうし、怖れも出るでしょうし、
いろいろな業想念が出るに決まっている。

出てくるのがいけないのではなくて、
いけないのは初めからわかっているのだから、
いけない想いを神様のみ心の中で消してもらう。

み心の中で消してもらうにはどうしたらいいかというと、
世界平和の祈りをなさい、と言って、
消えてゆく姿で、世界平和の祈りにしてしまうわけです。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

想いを消してもらえるという事がどれほどありがたい事であるか、
今回の文章を読みながら、改めてそう強く感じました。
難行苦行する必要もなく、全部
守護霊守護神、救世の神々様がやって下さるのですから。
五井先生は他の講話集の中でもこのようなお話をなさっています。

「 人間が幸福になる秘訣は何かといいますと、
  それは想いに把われないことなのです。
  自分の頭の中でぐるぐる思っている、心の中でぐるぐる回っている
  要するに業想念、あれが欲しい、これがいやだ、
  これが嫌いだ好きだ、あいつは憎らしいこいつは妬ましい、とか
  そういう想いに把われている以上は、どんな学問をしても、
  どんなに地位が高くなってもそれは駄目です。 ≪ 中略 ≫
  想いを超えていくことが大事なわけです。
  空(くう)という言葉はそこで出てるわけね。
  空になる、心をからっぽにして、自我をむなしくして
  自分の欲望をなくしてすっきり澄み透った時に、初めて
  本当の仏の姿が出てくるし、神様の子の姿が出てくるわけなのです。
  ところが現代の時勢では、山にこもって滝にあたったり、
  坐禅をくんだりするには、時間がなさすぎる。≪ 中略 ≫
  そこで空になるためにはどうしたらいいかというと、
  やっぱり業想念があるままで、
  それがいつの間にか転化されて消えてしまって、
  その業想念が浄まって知らない間にきれいになってしまっている、
  というような方法がなければならない。
  そこで私の〝 消えてゆく姿 〟と世界平和の祈りが出来たのです 」
                       ( 「 責めてはいけません 」 61、62ページより )

〝 業想念があるままで、それが、
   いつの間にか消えてしまって……知らない間にきれいになって…… 〟
とお話しされていますが、まさにそんな感じだと思います。
私は、五井先生の教えを行じ始めたばかりの頃、
「 消してもらっているはずなのに、同じような想いが出てくるなあ、
  ホントに業想念消えていってるのかなあ……? 」と、
?の想いを持ったまま続けていたのですが、それが、
いつの間にか、知らない間に、大確信するようになっていました。
いつの間にか、知らない間に、心の状態が変わっていました。
いつの間にか、知らない間に、守護霊守護神の大慈愛の光の中で
安心できるようになっていました。

世界平和の祈りの道は無限です。
これからもこの道を歩み続けていくと、また、ある時、
〝 いつの間にか、知らない間に、こんなふうに変わっていた 〟
と、気づくことがあるかな、と思うと何だか嬉しくなります。
さて、皆様は、
いつの間にか……知らない間に……
どんなふうにすばらしく変わっていかれるのでしょうか。
とても楽しみですね。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうか、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和
プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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