因縁因果を超えさせてくれる教えです

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 宗教問答 」
   95ページ3行目から97ページ5行目まで >


『 問32  この世のすべては因縁因果の輪廻によって現われているので、
       因縁因果に支配されぬものはない、と宗教的にはいわれていますが、
       人間は因縁にがんじがらめに縛られているものでしょうか。
       この点お教え下さい。

答  この世の幸不幸、様々な環境は、
因縁因果によって現われていることには違いありません。

因縁因果を現代的にいえば原因結果であるのですから、

原因のない結果がないと同じように、

因が縁にふれて果を生ずるのですから、
この世はすべて因縁因果によって生じていることは間違いないのです。

しかし、こうした因縁因果を超えた世界に住もうと思い、
または人々をそうした世界に住まわせようと思って、

古来から宗教家といわれた人々が、
様々な修業をしてきているのであります。

そして大聖といわれた人々は、
因縁因果の世界に住みながら、

同時にその因縁因果を超えた
神仏の世界に居住していたのであります。

ですから、この世の現われは
因縁因果の波によってなされていながら、

その人の生き方いかんによっては、
その因縁因果の波を超越して
生活することも出来るのであります。

それがいわゆる宗教生活なのであって、

因縁因果だけを問題にして、
あなたの因縁がこうだから、こういう結果が生じたのだ、

あなたがこのような心をもったから、こんな運命になったのだ、
あなたの因縁が悪い、あなたの心が悪いというような説教は、

真実の宗教者の嫌むべきことなのであります。

宗教とは、因縁因果の教ではなく、

因縁因果を超えた、つまり原因結果を超えた神仏の教なのであります。

神仏の中には、
この世でいう悪や不幸の波をもつ、因縁因果などはないのであって、

悪や不幸や病気や貧乏は、
すべて神仏の心を離れた無明、
つまり迷いの中から生じたものなのであります。

ですから、この世は因縁因果の波動であって、
人間はその因縁因果の束縛を逃れることは出来ないと思っているのは、
真実の宗教を知らないということであり、

神仏と人間との真実の関係を知らないことから起っているのであります。

神は絶対なる智慧、全能力者でありまして、

神は原因結果を同時にもっているものであり、すべての権能であります。

そして人間は、そうした全能者の分生命、分霊なのであって、

その他の何者の子でもないのであります。

そう考えますと、
完全なる智慧者の絶対なる愛の神から分れた人間の世界に
悪や不幸が実在するわけがないのです。

ところが実際のこの世は悪や不幸で充満していて、
因縁因果の波に翻弄されて嘆き哀しんでいるのであります。

これはどうした間違いからくるのかといいますと、

現在の地上人類が、
神の完全性、人間の完全性を否定して、
業想念の因縁因果の波を殆んど全肯定していることから起るのです。

そこで真の宗教観の確立が急がれることになるので、

人間は神の子であり、本来完全性であって、

この世の因縁因果の波、
悪や不幸や病気等々の悪想念は、
過去の誤った想念行為の消えてゆく姿である、

という真理の言葉を肯定し、
その業想念を常に消し去ってくれている
守護の神霊への感謝行をつづけてゆくことが、
唯一のなすべきこととなってくるのであります。

そうしてゆくうち、
この世の因縁因果の波の底から、
神仏の完全性、
人間の本来因果たる汚れなき生命の力が、
この世にはっきり真善美の姿を現わしてくるのであります。 』



< 五井昌久著 「 続宗教問答 」
   33ページ8行目から34ページ2行目まで >


『 仏教的には、
仏のみ心からそのままでている想念行為の波動を、本来因果といっていて、

仏のみ心から離れた想念行為の波動を業因縁といっているのですから、

私はこの仏のみ心そのままに現われている本来因果のほうを、主にして取りあげ、

人間は仏性であり、神の子であるのだから、
暗い運命や不幸な状態、不調和な姿があるわけがないのだ、

現在現われている不幸、不調和といった環境は、

人間が、神のみ心から離れていて、
神の光明に浴そうとしなかった想念行為、

つまり光明に触れなかった暗い世界が、
今、光明に触れて消えてゆく姿となって、消え去ろうとしている、

波動調整のための、ゆれ動く姿なのだ、

いいかえていうならば、業因縁の消えてゆく姿なのだ、
と、普通暗い面にばかり用いていた因縁という言葉を、

神のみ心が人類世界に現われ出でるための、
暗の消えてゆく姿、として光明顕現の面にだけ使うことにしているのであります。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

仏教を特に学んだことのない私でも、
因縁因果という言葉は以前から知っておりました。
しかし、本来因果という言葉は、五井先生のご著書で初めて知りました。
この、本来因果の世界こそが、実は本ものなのですね。

五井先生は今回の文章の中で、
「 宗教とは、因縁因果の教えではなく、因縁因果を超えた、
  つまり原因結果を超えた神仏の教えなのであります 」
と書かれていますが、他のご著書に次のような文章がありました。

「 因縁因果を説くのでも、心の法則を説くのでも、
  人間の今日までの心は、こうしたものであったのだけれど、
  人間の本体というものは実は神そのものであって、
  自由自在なる大智慧、大光明をもつものであるのだ、
  ということを知らせるための前提のようなもので、
  指導される側が、そうした方法に心がひっかかってしまうような教えを
  なすべきではないのであります。
 
  例えれば、月を差す指のようなもので、
  月を差した指だけをいつまでもみつめさせて、
  月のほうに一向に眸がゆかぬような教えをしたのでは、
  その教えがかえってマイナスになって、人間がお互いの欠点を探りあい、
  お互いの病気や不幸のある度に、あの人の心の中に何かの間違いがある、
  と責め合う想いが自然と湧きあがってきてしまうのです。
 
  そこで私は、
  この因縁因果説も、心の法則も一度は認めさせながら、
  それをさし示した指を、月(神)のほうに集中させるように、
  病気も不幸も貧乏もすべて
  過去の神を離れていた想念行為の消えてゆく姿なのですよ、
  と月をさす指を消さしめて、
  
  それと同時に、消えてゆく姿を想う時に、
  あなたのうちにある神の姿、本心が輝きでてくるのですよ、
  ですから、ひたすらその業想念を消していて下さる、
  守護霊、守護神に感謝しつづけなさい。
  
  そうすれば、自己の業想念にも、他の人の業想念にも把われず、
  自分の心を赦し、人の心も自ずから責めさいなまない、
  愛と赦しが自然と行われ、
  お互いの心の中の神性が、いつの間にか輝き出てくるのですよ、
  と説いているのであります 」
                             ( 「 人類の未来 」 52、53ページより )

五井先生の教えは、本当に心を明るくしてくれる光の教えです。
どんな時も、光(神)の方に集中できるように説いて下さっているので、
たとえ辛い事があっても、守護の神霊(光)にすがりつきながら、
希望を持って踏んばることができます。

守護霊守護神への感謝行、消えてゆく姿で世界平和の祈り、
という五井先生の教えを、日常生活の中で常にやり続けてゆけば、
誰でも必ず因縁因果を超えることができます。
……と言うより、守護霊守護神様が超えさせて下さいます。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうか、私達の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR