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神の子の姿を現してくれるのは守護の神霊ですよ

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 神は沈黙していない 」
   11ページ9行目から12ページ4行目まで >

『  私は、人間は神の分霊であり、神の子であるけれども、

分霊としての自分一個人、
肉体人間一人の存在として生きている限りは、
この世において、神の子の姿を、はっきり現わすことはできない。

少しぐらいの善意は、
この世界の烈しい業想念の波の中では、
すぐに蔽われてしまう、
といって人間は業生ではない。

業生ではないといっても、
真実の生き方を知らないでは、
業の子と同じように、
悪行為をしないでは
この世では生きてゆかれないようなことになってしまう、
というのであります。

そこで、真実の人間は、
肉体の自分個人が、自分そのものではなく、

祖先の悟った霊魂、
つまり、霊魂としての親である守護霊と、

霊としての親である、
いいかえれば、守護霊の親、
肉体人間の分霊魂にとっては、
祖父母にあたる守護神との、
完全なるつながりによって、

はじめて、神の子人間の真実の姿を、
この世において現わし得るものである、
と説いているのであります。 』



< 五井昌久著 「 神は沈黙していない 」
   14ページ9行目から17ページ13行目まで >

『 私が宗教の道に足を踏み入れてみて、一番強く感じたことは、

多くの人々が神に救いを求めながら、
実際に安心立命している人、
神の子としての真実の姿を出しきっている人が何人あるだろうか、
ということでした。

≪ 中略 ≫

まして、神も仏も無い人たちにとっては、
救いとか救われとかは問題でなく、

その場、その時々の自我欲望の満足感に、
その一生をかけているわけなのであります。

こうした地球界における人類に、
神の子の姿が真実に現われきるのには、
一体どうしたらよいのであろうか、

私は随分と考えつづけ、
私の生命を捧げますから、
どうぞこの問題を解決させて下さい、
と祈ったものでした。

天国に至る門は狭く、滅びに至る道は広し、
と聖書にもありますように、

真実の救われの道、
神の子の姿を現わしきる道は、
なかなか厳しく狭いのです。

それはどうしてかといいますと、
この地球界は物質世界でありまして、
粗い波動の世界、低い次元の世界であります。

ところが、霊なる人間、
直霊から分れた分霊としての人間は、
光明波動そのものでありまして、
微妙な波動の自由自在に活動し得る存在者なのです。

この微妙な波動をもった高次元の存在者が、
低次元の物質波動を身に纏って
生活しなければならないのですから、
その不自由さはおして知るべしです。

この不自由さの中で、
霊なる人間は、次第に物質波動になれていってしまい、
自己の本質から離れていってしまったのです。

いわば、肉体波動、物質波動に同化していって、
微妙な霊波動、自由自在なる心が、
いつの間にか、低次元の波動に蔽われていったのであります。

このギャップ(すき間、へだたり)が業波動となって、
今日までの人類世界を
善悪混淆の世界としているわけなのです。

≪ 中略 ≫

この業想念波動を超えて、
真実の神の子人間を
この世においてもあの世においても現わし得るのは、

先程から申しておりますように、
真実の人間の在り方である、
守護の神霊との完全なる一体化がなされなければ、
到底駄目なのであります。

何故かと申しますと、
分霊魂魄の人間だけでは、
烈しく渦巻いている業想念波動の壁を突き破って、
高次元の微妙な波動の世界の自由性を
現わすことはできないからなのです。

神の子の本質は、
その本住の地である、高次元波動の世界(神の国)から、
絶え間ない、光明波動を流入して貰っていなければ、
現わし得ないのです。

そこで、人間は凡夫なのだから、
阿弥陀仏のみ心の中に入りきって、
阿弥陀仏のみ心の中から
改めて真実の人間の生き方を頂き直すという、
唱名念仏の教が生まれでたのであり、

肉体人間では何事も為し得ない、
イエスのみ名を通して神につながるのだ、
というキリスト教の教があるのであります。

私の教は、阿弥陀仏、イエスというところを、
人間一人一人に関係深い、
祖先の悟った霊であり、自己の魂の親でもある守護霊、
そして直霊の救済面の現われである守護神という、
何教の人にでも、誰にでも納得できる形で、
人間が神の子の真実の姿を現わす道を説いているのです。

守護霊、守護神というのは、
前から申しておりますように、
自分自身の本質的な存在なのですから、
切っても切れない仲なのでありますから、

こちらがその方に少しでも想いを向ければ、
向うからは光の波動を流しやすくなるのです。

それを常に守護霊、守護神への感謝を
しつづけているような態度で生活していれば、
これはなおさらに守りやすくなり、
神の子の姿を早く現わし得るようになるのです。

守護の神霊との一体化の姿が、
真実の人間の姿なのですから、
そういう心でいさえすれば、
神の子の姿が現われないではおかないものなのです。 』



< 感謝の言葉 >


皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

五井先生は常に、このように教えて下さっています。
「 守護霊守護神が、本心を覆っている業想念を消してくれて
  神の子の姿を現してくれるのだから、いつも感謝していなさいよ 」と。

五井先生の講話集の中に次のような話が載っていました。
「 知的なインテリの宗教研究家というのは、
  守護霊守護神ということをとても嫌うんですよ。
  外なる神というものを嫌うんです。
  内なる人間性というものばかり考える。
  それで仏教哲学を好んでいる人には、インテリが多い。
 
  何故仏教に魅力があるかというと、外に頼らないで、
  内なる仏、仏性というものを出そうとして、
  座禅したり、いろいろ修行をする、というところに魅かれている。
  それで禅なんかが欧米で好かれています。
 
  自分の力で中の仏を出す、というのですが、
  自分の力で、と思った時には、もう中のものとは離れている。
  それがわかっていない。
 
  自分自分とそうやって力んでいる自分というのは、
  どこにあるかというと、それは肉体の自分なんだね。
  肉体の自分が力んで、肉体の自分が中なる仏を出そう、
  神体の仏を出そうという、
  そういう想いでは、いつまでたっても仏は出てこない 」
                     ( 「 みんな救われている 」 17、18ペーシ゚より )

私はなぜだか、五井先生のご著書に書かれてあることは、
何の抵抗もなく、スースーと心に入ってきました。
〝守護霊〟ということにしましても、
よく霊能者の方などが守護霊について色々語っておられるような話は、
あまり分からなかったし、何も感じなかったのですが、
五井先生が説いていらっしゃる守護霊守護神については、
心が何かを感じ、心が深くうなずいて、
どんどんひきつけられていきました。
そして、五井先生がおっしゃっていることを全部信じて、
常に守護霊守護神に感謝することを深めていくうちに、
他の人を見ても、その人の守護霊守護神の方を見つめ、
感謝する、という事がだんだんできるようになりました。
たとえば、誰かのことが心配で気になるような時でも、
その人の守護霊守護神の愛を確信しながら、
「 誰々さんの天命が完うされますように 」とお祈りできる、
ということは、実にありがたいことです。

五井先生の教えというのは、どこから見ても、
自分だけが救われるのではなく、自他が共に救われてゆく、という
大きな大きな光の教えですね。

最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様、
本当にありがとうございます。

どうぞ、このブログを見て下さる全ての方の
天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

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プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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