謙虚という事は、全ての智慧や行為を神様のものとして生活する事

                     < 世界平和の祈り >

                  世界人類が平和でありますように
                  日本が平和でありますように
                  私達の天命が完うされますように
                  守護霊様ありがとうございます
                  守護神様ありがとうございます




< 五井昌久著 「 生きている念仏 」
    84ページ4行目から85ページ6行目まで >

『  言葉では仏と言おうと神と言おうと、
それはどちらも絶対者の意味であり、
絶対者のそのまま働いているという意味でもあるのです。

それは仏教的に言えば、
自己の内にあるものとして説いているのですが、

その自己というのは、
肉体の自己という意味ではなく、

全人間、
つまり幽、霊、神の各界を通して働いている光明体である人間を、
自己と言っているのであり、

そうした自己の内というのは、
神界ということになるのであります。

≪ 中略 ≫

仏教でいう仏は、
神道でいう直霊(なほひ)と等しいものと私は解釈しているので、

神の分霊(わけみたま)が直接働いている肉体人間が、
業想念を解脱して、直霊と一体になり得た時、
その人は自己に内在する仏を知り得た人ということになるのであります。

釈尊という人は、
真実自己の直霊(本心)と一つになり得て、
直霊が直接肉体において自由に
その光明を放ち得るようになった人であったのです。 』



< 五井昌久著 「 生きている念仏 」
    88ページ2行目から93ページまで より抜粋 >

『  仏教と言い、キリスト教と言い、神道と言い、
いずれもその真理は人間は肉体だけではなく、
無限絶対なる大智慧、大能力を持つ
神の光の一筋一筋である、と説いているのであり、

その真理を知ることによって、
人間は真の力を発揮できるようになることを説いているのであります。

釈尊もイエスも、全ての聖者は、
みな守護神の援助によって、自己の神性(本体)を発現し得て、
世の為、人の為に役立ったものであって、

守護神の援助や加護なくして、
覚者になり得ることは絶対に無いのであります。

そうした事実は、
自らが真の神通力を得た人ならば誰も知っているのであり、

そうした人々にとっては、
今更事改めて言う程のことではないのです。

釈尊も守護神については、
弟子たちに常に話していたようで、

仏教研究者が守護神を否定していたりするのは
実におかしなことなのであります。

釈尊が造物主的神を説かなかったのは、

あの頃の時代には、迷信的な神が多すぎて、
人々がそうした外的な神に頼り過ぎて、
自己の神性を全く度外視してしまい、
信仰することによって、かえって真理を離れてゆくので、

そうした行き方を否定するために、
外部的な神を根本にせず、
人間の内なる神性、つまり仏を主として教導していったのであります。

五感の満足のみを求める人達も真理を求めにくいのですが、

知識欲の満足のみを追い求めている人々も、
なかなか真理の道に到達できにくいものです。

田舎の百姓婆さんや学問知識のない人などが、
死後の世界では、意外と思う程高い所で生活していたり、

あれ程の宗教者、あれ程の学者が、と思う人々が、
迷界で喘ぎ苦しんでいたりするのを、
私も知っておりますが、

これはどうしたことかと申しますと、

自我想念、つまり神仏を離れた想念の持ち主が、
知識欲や権威欲を満足させ得る地位の人々に多く、

理屈はあまり判らぬが、自己に与えられた天職に満足して、
只素直に神仏に感謝の生活を送っていたような素朴な人々の方が、
神仏の世界では上位に置かれるものである、という証左なのであります。

地位も権力も持ちながら、
神仏への感謝の生活で、自己をむなしうしている人々があれば、
これに越したことはありません。

人間は常に神仏に謙虚でなければなりません。

神仏に謙虚であるということは、
神仏の子である人間同志も謙虚であるということであります。

謙虚ということは卑下することとは違います。

全て一切の智慧や行為を神様のものとして生活することであります。

肉体としての自分には、何等の智慧も能力もないもので、
肉体の内に働く神霊の力によって、
肉体の自分に智慧も湧き、知識も吸収できるのである、
という謙虚さからこそ、
真実の神の子としての働きができるのであって、

大智慧、大能力者、神を除外して
肉体人間に智慧能力があると思いあがっている人々は、
その考えの改まる迄は、永劫に安心立命の生活はでき得ないのです。

私は常に神への全託を説く者です。

私自身が神への全託によって、
守護神の絶大なる援助を受け、
真理を世に伝える者となったからであります。

全託の一番易しい方法は、
消えてゆく姿の教と、
守護霊、守護神への感謝行であります。

全ての悪も不幸も、憎い欲しいの業想念も、
それらはみな過去世からの神を離れていたマイナス面の消えてゆく姿。

消えてゆくに従って、
あなたの本心である神性があなたの行為や生活に自然と現われて、
あなたは必ず幸福となり、
安心立命の生活ができるようになる。

そしてもう一歩進んで、
自他同時に幸福になり平和になる世界平和の祈りをなされば、
あなたはそのまま菩薩道を進んでいることになるのですよ、
と私は説いているのであります。

絶対神は、各守護神となって、
人類の平和の為に日夜の暇なく働き続けておられ、
今こそその総力を結集して人類世界に働きかけているのです。

その働きを一日も早く全面的に地上界に発現させるのが、
世界平和の祈りなのであることを、
ここでもまた末尾に記しておきます。 』



< 感謝の言葉 >

皆様、ブログを見て下さってありがとうございます。

今回のご著書の中に、
仏教を誤って解釈している仏教学者等の事が書かれている所があるのですが、
それに続けて五井先生が真理を説明して下さっているので、
その中から大事な文章を抜粋させて頂きました。

今回の文章の中に、
「 人間は常に神仏に謙虚でなければなりません。
  神仏に謙虚であるということは、
  神仏の子である人間同志も謙虚であるということであります 」
と書かれていますが、
四六時中「 守護霊様守護神様ありがとうございます 」と、
守護霊守護神の方を向いていれば、
守護霊守護神が色々と気づかせて下さいます。

以前、
口では正しい事を言っていても威張っていて感じが悪く、
謙虚さに欠ける宗教家を見て、とても嫌な想いをした事があるのですが、
これは守護霊守護神が過去世の因縁を消しながら、
私に大事なことを教えて下さっていたのだと思います。

立場上、人から立てられることが多い、という方も
皆様の中にはいらっしゃると思いますが、
日頃から守護霊守護神に感謝して、
〝 どうぞ全てをみ心のままにお願い致します 〟と思っていれば、
守護霊守護神が、どんな時でも謙虚でいられるように導いて下さいます。

例えば、何かがうまくいったり、成功したりして、
人から評価された時、人から立てられた時、
瞬間、〝 自分( 肉体の自分 )がやったんだ、自分の力でやったんだ、
という自我の想い( 業想念 )が出てくるかもしれませんが、
すぐに、〝 あっ、これは消えてゆく姿の業想念だ 〟と気づいて、
その想いを世界平和の祈りの中へ入れてしまい、
「 守護霊守護神様がやって下さったのですね、ありがとうございます 」
と、心の底から感謝することができると思います。

〝 守護霊守護神がこの仕事をやって下さったから人が喜んでくれたんだ 〟
〝 守護霊守護神がこの役目を果たして下さったから人の役に立てたんだ 〟
〝 守護霊守護神が、あれもこれも全部やって下さっているんだ …… 〟

「 守護霊様守護神様ありがとうございます、ありがとうございます、
  世界人類が平和でありますように ━ 」

そんなふうにやっていると、
自分自身が益々幸せになることはもちろんですが、
回りの人達にも、そして地球世界にも、
神様の大光明がふりまかれてゆくのです。
守護霊守護神の存在ほどありがたいものはありません。


最後になりましたが、

このブログを見て下さる全ての方の守護霊様守護神様
本当にありがとうございます

どうぞこのブログを見て下さる全ての方の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように



             世界平和

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プロフィール

たかひろ

Author:たかひろ
昭和31年生まれ
職業 税理士
現在 兵庫県芦屋市在住
妻と二人暮らし
趣味 音楽鑑賞

    妻
昭和38年生まれ
専業主婦
趣味 ピアノ

≪このブログは妻との合作です≫

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